すずき孔と申します。三河武士の史跡を巡っては感想とかツッコミとか書いてます。HP「三河武士にあいたい!」http://www7b.biglobe.ne.jp/~mikawabushi/


by mikabushi

歴史の文献を見ていて「おいちょっとまてやそれ」と思う瞬間

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ありがとうございます(写真は占いを置かせてもらっている売店「ひょうたんや」さんのご主人です)!



さて、タイトルを見てなんだそりゃと思った方もいらっしゃるかと思いますが、普通にまじめな歴史の本を読んでいて「!」と思う瞬間、ありませんか?私にはあります。

最近読んだ本では、水野勝成の事を調べるために「刈谷市史」を読んでいた時。

矢田作十郎という、三河一向一揆でちょっとだけ名前が出てくる人がいます。武将隊の舞台「ROAD」でも一揆の最初の方に出てきて民衆を扇動していましたね。
また、三河八幡の戦いでは傷ついて倒れていたところを、松平元康軍のしんがりをただ一騎で務める渡辺守綱に救われ、守綱の肩に背負われて生還した人としても知られております(孔の「マンガで読む三河武士列伝その3・渡辺守綱編」を読んでくださった方なら「ああ、あの時の人か」と思われるかもしれません)。



…彼はすごい人だったんですね。


彼と同じく一揆側でありながらそののち家康に仕えて79歳まで生きた渡辺守綱が、後年口述筆記したという文献「守綱記」によると…

もともと家康家臣だった矢田作十郎と蜂屋貞次と筧正重(平岩親吉の耳を射た人)は大変仲が良くて、義兄弟の約束をしていたらしい。

…矢田も蜂屋も筧も、錚々たる一向一揆の立役者たちであります。強い者同士、門徒同士、仲が良かったんでしょうね。
だが疑問は、このなかにどうして守綱がいないのか(彼はこのころ既に「槍の半蔵」というあだ名を持っていたほどの豪の者ですし、戦では前述のように作十郎を命がけで助けたり、また別の戦では守綱自身が蜂屋に命を助けられたりしているなど、親密な間柄だったはずなのですが…)。
そしてなぜその守綱がこんなことを後年わざわざ書き残したのか…非常に気になります。

さらに。

彼らがどのくらい仲が良かったかというと、当時勇猛で知られた矢田作十郎は、水野信元の家臣の持っていた鯉の前立てつきの兜がほしくて、それを強く望んでもらったのだが、蜂屋にそれを望まれるとあっさりあげてしまったとか。

あ、うん、はちやんは兄貴分だったんでしょうかねそれとも作十郎が蜂屋のアニキを大好きで思わず貢いで…じゃなくていやとはいえなかったんでしょうかねていうかなんでそんな仲良しエピソードをを守綱さんが書き遺してるんでしょうかこれ歴史の本筋と関係ない話じゃんふしぎですねそうですね。

しかしそんな仲良し三人組にも危機が。

一向一揆が始まり、一揆側につく者たちが岡崎退去することになったときのこと。打ち合わせが悪く矢田だけが一人取り残されたことから、三人が仲間割れしそうになったとか。
(ちなみに蜂屋の妻も筧の兄正則の妻もともに大久保忠勝の娘だった(ので、その辺の事情もあったのかな?…と刈谷市史。)

うむ守綱は義兄弟でもないのにこの三人の内情をよく見ていたんですね…。ていうかなぜこんなこと書き残すし。


さらに。

尾張藩の家臣の家には矢田に関する別の所伝があり、

矢田作十郎は蜂屋・筧とともに武名が高く、なななんと、あの武田信玄が彼を一目みたいと思ったが不可能なので、わざわざ画家を三河に派遣して矢田の肖像を描かせたんだそうです。ほんまかいな!

しかも

実は矢田は背が小さかったらしく、家康は矢田を描かせるなら座った肖像画を描かせるべきで、立って画家にあってはならない、とわざわざ命令したそうです。

…ううむ、一向一揆がおこったのは家康が独立して間もないころなのに、その前にすでに部下の武名が甲斐にまでとどろいていたとは…。


そんな矢田作十郎は一向一揆の最中に鉄砲に撃たれて亡くなってしまいますが、この人の弟は生き延びて後を継ぎ、その子が尾張藩に仕えたそうです。
その関係か、矢田作十郎所用の銘の入った鎌倉時代の太刀(備前長船兼光)が熱田神宮に所蔵されており、重要文化財に指定されているのだとか。


また、この矢田作十郎の子孫は後に赤穂四十七士のひとりになったとか。


…この矢田作十郎さん、たぶん亡くなったのは20代前半だったと思うんですが(蜂屋の年齢より下だと思うので)、これだけの武勇伝をもっているということは、もし一揆の時に死ななかったら後世どれだけの活躍をしたことでしょう。
矢田さんだけでなく、蜂屋も筧も、きっと本多忠勝クラスの活躍をしたでしょうし、大名にもなっていたかもしれない。

一揆組で一人天寿を全うするまで生き残った渡辺守綱が、生粋の武人であるにも関わらず、わざわざかれらのこんなたわいないことまで書き残したのも、そんな彼らを惜しみ、やがて歴史の中に消えてしまうであろう彼らとのこと、その当時の時代の雰囲気、その中で生きる若者たちのエネルギー、そんなものを懐かしく思い出し、今となっては自分だけが知っているあの日々を少しでも書き残したいと思ったからかもしれません。

一向一揆は確かに悲惨な出来事で、明日をも知れぬ不安な日々ではあったでしょうが、守綱にとっても、蜂屋や筧や矢田にとっても、あのころがたしかに自分たちの青春だったのでしょう。

………

そんなレアネタ満載の「守綱記」が来年「愛知県史」の資料編に全文掲載されると新行先生からお聞きしたので、私はもう楽しみで仕方が無いのですよ!
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by mikabushi | 2013-09-10 02:13 | 日記