すずき孔と申します。三河武士の史跡を巡っては感想とかツッコミとか書いてます。HP「三河武士にあいたい!」http://www7b.biglobe.ne.jp/~mikawabushi/


by mikabushi

カテゴリ:日記( 76 )

第5回松平シンポジウムに行ってきました。
以下、聞き書きをまとめたもの。勘違いや聞き間違いもあるかもです。

平野明夫先生
・長沢松平以外の松平庶家は桶狭間以前ほとんど今川氏に属していた。
・長沢松平は今川によって長沢城を追われ浪人になったが桶狭間後に家康の下で復帰したらしい。
・大給松平は家康と敵対した後浪人し、許されて大給城に復帰したという文書がある。時期的に見て一向一揆に加担したのではないか。
・松平庶家は今川の直接の家臣として扱われており、今川も家康(岡崎松平家)を通さず文書を発給している。
・駿府に年始の挨拶に行く松平家も(完全に家臣)。当時は3月頃になっても正月の挨拶が行われていた。

山田邦明先生
・東三川の今川の拠点は吉田(大原)・牛久保(牧野)・田原(朝比奈)の三城。
・酒井忠次が一番頑張った。まず自分が地域の武士を説得・手懐ける→家康側につける。
・大塚城の岩瀬、父と子が敵対。父は家康側につくが子は今川を引き入れて父を殺す。しかしその後降伏してきた子を家康許す「若気のいたりということで許す。父上も尽くしてくれたし。」☚父の死は無駄になっていない。
・仁連木の戸田主殿助は吉田城(城将小原)に人質になっていた母を鎧櫃にいれて仁連木に帰る。
・家康、味方になってくれた戸田主殿助に大盤振る舞い。三千貫文与える。家康、20代半ばでまだ一生懸命。
・家康から忠次に与えた文書、すでに吉田城落城し境が城代になること前提で書いている。
・田原城は水軍で攻めた。本多豊後(広孝)が率いる。地域の百姓にも協力しろと言っている文書。
・田原城を落とす予定の本多広孝にすでに恩賞の話。領地とともに座王山もあげると言っている。<
・田原城を守っていた朝比奈、「土地が少ない」と訴えていた神社に対し「領主が代わっても次の人がやってくれるだろう」と書いている(悲しい史料…)
・吉田城が落城し浪人となった者にも同じ所領を与えてやってくれ、と大原肥前守は家康に頼んで開城した、ということを示す史料(いい人だった大原さん)
・数正はまだ判物を発給するのに言葉の使い方がわからず、書き直した形跡あり。初々しい。
・牧野は降伏するが、領地などはそのまま安堵。そのため開城後長沢松平に渡すはずだった土地を牧野に渡すことになったという文書がある。
・まず家臣に恩賞の土地を約束するが、敵が強くて交渉の末妥協して開城させた場合約束守れなくて家臣に謝るということよくあった。
・牧野と水野は近い関係だった。親戚だったかも。…牧野家中、主君亡き後のこと水野に頼む(それで牧野家中が安心する)。実は水野の勢力は知多半島だけではなかった。
・信元、資料が消された可能性もある。実際は資料に残っている数倍のことをしたのではないか。一向一揆は信元がいなければ収まらなかったと書いている資料もある。
・家康は極端なことをしないでじわじわと攻めるのがスタイル。力攻めをせずなんとかうまく諦めさせることが天才的にうまい。

谷口克広先生
・信長の同盟者と家臣の線引き難しい。
・ただ、家臣だったら安土城でもてなされたりはしない。まだ同盟者。家康は「家臣の直前でとどまった」のではないか。





…という感じでした。
最初掲載したものをかなり編集してまとめてありますが、詳しい講演内容はおそらく安城歴博から冊子になって後日発行されると思います(第3回のシンポジウムのは冊子化されてた)。

個人的には東三河攻略における酒井忠次の功績が非常に大きかったということと、水野信元の功績が今伝わっていることの数倍はあったのではないかというお話が興味深かったです。
[PR]
by mikabushi | 2014-10-27 12:00 | 日記
ご無沙汰しております。

今年の夏コミですが、

金曜日 西地区 ”お”ブロック18b
「箇三寺御殿」

にて参加しております。


…で

今回も「三河武士列伝4」は出ません。

商業誌のほうの仕事が入ってしまい、出ませんでした。
[PR]
by mikabushi | 2014-08-04 17:49 | 日記
COMIC CITY 大阪 99は

日本史( 歴史・古典)

4号館
K31b


です。

新刊は多分でない…
[PR]
by mikabushi | 2014-04-14 16:48 | 日記

更新情報いろいろ

ごぶさたしてます。
私事ながらこの4月より再び関東の方に生活拠点を移しました。
といっても愛知の方の仕事や武将隊のグッズ等の製作も変わらずやっていくつもりです。
どうかよろしくお願いいたします。

さて、最近の更新いろいろ…

・ブログ「三河武士紀行」に「水野勝成紀行」を一挙アップ
 …こちらのブログに掲載した記事に写真・文を追加したものです。

・ブログ「三河武士紀行」に「小松姫紀行」を一挙アップ
 …こちらのブログに掲載した記事に写真・文をかなり追加したものです。

・サイト「三河武士に会いたい」に【管理人の仕事@商業関係】のページを追加
 …まあそろそろ書いてもいいかなーと(ていうほど大した経歴じゃない)…

・ツイッターを1年2カ月ぶりに再開しました
 …現在「一日一板倉」と称して板倉勝重の逸話を深夜につぶやいています。ツイッターをやってない人はこちらのtwilog(ツイッターの記事をブログ状にしたもの)でご覧ください。

LinkedInにアカウントを取りました(閲覧には登録(無料)が必要)。

…そんな感じです。


「人間は無、仕事が全て」とはフローベールの言葉(とホームズ先生がドラマで言ってた)でありますが、再び都会に戻ってきたからにはまたどしどし働こうと思いまする。
ていうか働かないと暮らせないし…
そんなわけで、ライフワークである三河武士の事や自分の仕事の事など、今後ますますツイッターやブログを使って発信していこうと思います。


【今日の一枚】
最近ツイッターで流行っている「○○の間で良く使われているハンドサイン」シリーズ。
三河武士バージョンを作ってみました。
元ネタが分からないものもあるかと思いますが、念のために書いておくと、矢田作十郎についてはこちらを、松平信一についてはこちらをご覧ください。

b0238507_0272141.jpg

[PR]
by mikabushi | 2014-04-13 00:33 | 日記
b0238507_23172780.jpg

【お仕事報告】
愛知県長久手市の小学校3〜4年生向けの学習用マンガを描かせていただきました(^o^)/

※この記事は先日アップしましたが、長久手市さんの記者発表前でしたので一時下げさせて頂きました。長久手市さんすみませんでした。

長久手の古代の窯業や須恵器について、現代からタイムスリップした男の子が学んでいくという全12ページほどの短編です。

ちなみにタイトルの『ほとぎのさと』とは、古代の文献に記載された(この地方のことだと言われている)村の名です。

このパンフは非売品ですが万が一長久手に親戚のお子さんがいらっしゃるという方はぜひ見てみてください〜。

仕事をいただくまで知らなかったのですが、古代から中世にかけて愛知県のこの辺りは日本の焼き物生産の中心地だったそうで、それが瀬戸や美濃の窯業、さらにはものづくりの伝統に受け継がれているのだとか…。

小学生向けの内容なので専門用語が使えず自分でまず理解して解説を書かないといけないとか、一つの絵を描くのにもいろんな説があるので描き直しするとか注釈付きで描くとか、いろんな苦労もありましたが、教育マンガを描くにあたって必要なスキルもたまっていい勉強になりましたm(_ _)m

これとは別に一般向けの『長久手市の古代の窯業』のパンフも制作されていて、マンガのカットの一部がイメージ画として使われていますので、一般の方はそちらを目にする機会の方が多いかもしれません。


それにしても去年は小牧市で信長マンガの仕事、今年の初めは小牧長久手の戦いをテーマに脚本の仕事、そして長久手市の古代の窯業のマンガの仕事…
最近なんだが小牧長久手づいてますねσ(^_^;)
[PR]
by mikabushi | 2014-03-24 23:10 | 日記
2014年05月4日開催 SUPER COMIC CITY 23のサークル・スペース番号が決まりました。

東1ホール サ09a
サークル名:『箇三寺御殿(こさんじごてん)』


です。

予定では「三河武士列伝4」が初売りとなるはずですが、現在仕事の方にてこずっていてまだできておりません…(._.)

史料は集めたのであとは描くだけですん…。


そんなわけでブログの方も更新できておりませんが、ご容赦ください。



【近況報告】
/=/ಠಎಠ\ .。oO(最近久しぶりにコンタクトを買いました /=/・_・\ノ 。。
面倒くさいので時々しかやらないと思いますが、「おいそこのメガネ」と呼ばれるであろうほど顔とメガネが一体化していた顔だったので、自分で見ても別人の顔のようです。
しかし前にはめてた時と比べて小じわが目立つようになったわい…/=/ಥಎಥ\
5月4日は別人孔さんがいると思います)



【おまけ画像】
b0238507_15571480.jpg

名古屋の「オアシス21」(イベントスペースとか商業施設とかある円形の広場)にある中華料理屋「信忠閣」のタンタンメン。

なぜこの店に入ったかというと、「信忠閣」という名前にひかれて入ったことは言うまでもない。

「信忠」と聞いて

「おお、信長公の御曹司か。松姫かわいそうだったね。」という人は尾張人歴史好き。

「おお、清康公の父君か。信定かわいそうだったね。」という人は三河人歴史好き(←文の後半は人によると思う)。
[PR]
by mikabushi | 2014-03-20 14:50 | 日記
今日もまた予約投稿です本当です<(_ _)>

b0238507_1424994.jpg

御旗山に移動する前に本陣がおかれた色金山。

b0238507_1425466.jpg

床机石。家康公が腰をかけたと言われる。

b0238507_143079.jpg

色金山頂上は整備されており、こんな立派な櫓風展望台が。

b0238507_1585788.jpg

古戦場公園の最寄り駅はリニモの長久手古戦場駅。全国で唯一古戦場とつく駅なんだそう。
近所にはイオンもできるそうなので、今後ますますこのあたりは発展していくでしょう。


ちなみにこの日は用事があって午前中に長久手市内にある万博跡地(モリコロパーク)へ。

半ば崩壊したキッコロがいました。
b0238507_1142035.jpg

[PR]
by mikabushi | 2014-02-28 02:00 | 日記
引き続き予約投稿です<(_ _)>


b0238507_1422431.jpg

以前ブログでもご紹介した桧ヶ根公園。堀秀政本陣跡。
このあたりで深追いしすぎた康政は返り討ちにあってボロボロに。

b0238507_1423039.jpg

そこで見かけた看板。なんとワーテルロー市と長久手は姉妹都市だった!秀吉はナポレオンだったのか…。

b0238507_142356.jpg

家康公が本陣を構えた御旗山。今は富士浅間神社が建っている。
ここに家康公が本隊を移して金扇の旗を掲げたので、それを見た堀秀政が退却した。
それで康政は命拾いしたと言えなくもない…

b0238507_1421435.jpg

そこからの眺望。確かに戦況がよくわかる。

続く…
[PR]
by mikabushi | 2014-02-27 02:00 | 日記
しばらく忙しくなるので予約投稿にします。

b0238507_1403163.jpg

先日行った、長久手の戦いの史跡写真いろいろ。
これは郷土資料室にある喫茶店の看板です。
看板の文句がなにげにシュール。

b0238507_1432430.jpg

池田恒興戦死の地。古戦場公園の敷地内にある勝入塚。池田恒興が討たれたところ。
息子が戦死した場所(庄九郎塚)や娘婿が死んだ場所(武蔵塚)はすぐ近く。
池田さんはRoad2では出せなくて本当にごめんなさい。

b0238507_1433161.jpg

庄九郎塚。恒興の長男、之助(元助)の戦死の地。
塚が立っているところは子孫が繁栄している家なのですね。
それが先祖の栄光を讃えるためにたてるのですね。
次男(池田輝政)が生き残って出世してよかったよかった。

b0238507_1403697.jpg

ほど近くにある武蔵塚。森長可戦死の地。子孫が明治になって建てたもの。
こちらも弟君(森忠政)が生き残ってよかったよかった。

b0238507_1405784.jpg

兵士たちが戦の後、血を洗い流して池が赤く染まったという血の池の跡。

b0238507_1405255.jpg

現在では公園兼避難場所になっている公園。あまり避難したくないネーミングである。

b0238507_1413581.jpg

すぐ近くには兵が鎧をかけたという鎧掛けの松。現在の松は4代目。
このすぐ前は交通公園になっていて、車校のようにちいさい信号機や横断歩道なんかが立派に整備されている。
ちびっこたちが交通規範を学んでいる横で400年前のルール無用の血なまぐさい戦闘に思いをはせるわし…。



続く…
[PR]
by mikabushi | 2014-02-26 02:00 | 日記

滝山寺鬼祭り

こんにちは。お仕事がひと段落したので久々のブログ更新です。
仕事中はテレビもほとんど見ていない(原稿をやっていると下を向いてしまうので、画面を見ないと意味が分からないスポーツなどは基本見られない)ので、オリンピックのこともあまりよくわからずすっかり日本中の感動の嵐に取り残されてしまいました。


去る2月15日、以前から一度行きたいと思っていた、岡崎の滝山寺の鬼祭りに行ってきました。

滝山寺には以前何回か行っているのですが(過去のブログ参照;「三河武士紀行~岡崎にある意外なもの⑧『源頼朝の髪と歯が納められた運慶作の聖観音』)、この有名なお祭りには行ったことがなくて、この日も仕事の締切が迫る中ずっと迷い続け、夕方になってやっと決心がつき急いで電車で向かった次第です(優柔不断)。

b0238507_2302677.jpg

そんなわけで夜もとっぷりと暮れてから滝山寺着。
山の中にあり普段は人けのないお寺ですが、今日ばかりは参道に屋台もあふれ、子供たちもたくさん来ています。

b0238507_23105223.jpg

前日の大雪のせいで足元ぐちゃぐちゃの中、広い境内を埋め尽くす人、人、人!

b0238507_22593852.jpg

火祭の前の『庭まつり(田遊祭)』を見ながら、皆さんカメラ片手にクライマックスの火まつりをまっております。
そういえば滝山寺は源頼朝ゆかりのお寺なので、氏子さんたちのはっぴの背には石川数正と同じ「丸に笹竜胆」の家紋がついてるんですねー。

「オウ…なんか数正の親衛隊っぽい…(´ρ`*)」
おもわず腐ったことを考える孔さんでありました(つω`*)←祭りちゃんと見ろ

b0238507_22594512.jpg

やがて松明を持った人々が本堂の裏から回廊を通って登場。

b0238507_230073.jpg

こんなふうに本堂の周りをぐるぐると回ります。

b0238507_2301943.jpg

そのうち本堂(重要文化財・室町時代前期の建立)の中にも男たちが松明を持ったまま入っていきます。
うわーあきらかに火が柱についてるんですけど!
本堂まで燃えてしまわないかと見ていてハラハラ…。

b0238507_230392.jpg

滝山寺のこのお祭りのみで使われる祖父面、祖母面、孫面の3体の鬼面のうち、孫面をかぶった子供を皆に見せるため(?)欄干の上に乗せています。
ちなみにこのお面は運慶作と言われていますが、それが本当だったらもう値段の付けようがないものでしょう!
運慶作(と言われている)のお面をこうして現役で使っている(しかも火を使う祭りで!)なんて、本当にこの滝山寺の鬼祭りくらいなものでしょうねえ。

このお面をかぶる役の人は、七日間斎戒沐浴して別室で起居し、女との接触も禁止され、四足動物の肉を口にせず食事も男の人が作ったものしか食べないのだそうです。
孫面をかぶる子供さん、ちょっとかわいそうですねー。

何でそうするのかというと、
鬼面はもとは父面・母面もあったが、二人の旅僧が斎戒沐浴せずに父面・母面をつけて祭りを行い、面がついて離れず息絶えてしまった。この二人を薬師堂の前に葬り鬼塚として供養したため父面・母面は残っていないといわれています。(滝山寺HPより)
だからなんだそうです。

他にも7世紀から続く古刹滝山寺には様々な伝説が残っていて、本当にここだけで一つのファンタジー世界のような気がいたします。

b0238507_231327.jpg





そして

10分ほどで火まつりは終わり、ぞろぞろと帰り始める人々。

あれ?もう終わりかやー

早っ



滝山寺の鬼祭りはこの火祭の前に、午後からずっとお祭りがおこなわれており、大松明・12人衆行列、仏前法要、長刀御礼振り、鬼塚供養(豆まき)、庭まつり(田遊祭)、火まつりという段取りがあるのだそうです。
来年はもうちょっと早く来て、このお祭りの意味をゆっくりかみしめたいものです(-_-;)

ちなみに鬼祭りといってもこの鬼は五穀豊穣と天下泰平をもたらす良い鬼さんだそうですので、追い払われたりしないんだそうです(これもHPの受け売り)。


【アクセスについて】
普段からバスが少ない滝山寺(二時間半に一本!)ですが、さすがはお祭り当日、帰りはバスがたくさん出ていて、東岡崎駅に直行できたので楽でした。
ただ、これだけ有名なお祭りにもかかわらず、行きは東岡崎からはあまり臨時バスが出ていなくて、火祭りに間に合うかどうかハラハラしました。
地元の人は総合グランドまで車で行って、そこからシャトルバスで現地に向かうようです。
公共交通機関を使う人は、バスで総合グラウンドまで行った方がよいかもしれませんね。
[PR]
by mikabushi | 2014-02-21 23:59 | 日記