すずき孔と申します。三河武士の史跡を巡っては感想とかツッコミとか書いてます。HP「三河武士にあいたい!」http://www7b.biglobe.ne.jp/~mikawabushi/


by mikabushi

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いきなりすごいタイトルですが…(武将隊の直政さんとは関係ない話なのでファンの方怒らないでね)

井伊直政は「猪首」であった、という文献があります。

『中古治乱記』に「…直政は唐の頭の甲総角付(かぶとあげまきつけ)まで掛りけるを猪首に着なし…」という文章があるのだそうです。

「猪首」。

誰でも字面で想像すると思いますが、私、これをずっと「いのししのように太い首」のことだと思ってたんです。

ファンになってから、かれこれ10年ばかりずっと。

…いや、他にも根拠はあるんですよ。

井伊直政研究の有名な先生の文章にも「直政はやや肥満気味だが頑丈な体格をしている」というくだりがあったし。
彦根城博物館で見た、関ヶ原当時着用とされる赤鎧もかなり大きいしおまけに頭が大きいし。
おまけに「直政の甲冑は頑丈で重かったが生傷が絶えなかった。」という有名なエピソードもあるし。

たしかに直政を「容顔美麗」だったという当時の人の記述はあるのですが、ほら、昔の美人って今と基準が違うっていうじゃないですか。博多人形みたいなぷくぷくしたのが美少年だったりするじゃないですか。

そういえばあの有名な肖像画も、二重あご…



だがしかし!今年になって新事実が!!


今年になって水野勝成関係の資料を調べていたら、水野勝成が語った「戦場での心得」などを書き記している書物(「宗休様御出語」)があり、その中に

「首ゆりすわり、猪首になる物(←原文ママ)あらばこの者必ず一番にかけ、槍を合わす者である。油断してはならない…」

という一文があったんです。

疑問に思って「猪首」を調べてみたら…なんと

猪首とは「かぶとを後ろ向きにずらしてかぶること(つまり今で言う「阿弥陀かぶり」)」
のことだったらしいとそこで初めて知ったのです。

つまり、兜をずらしてかぶる→しころが後ろにずれて、首が短く見える→猪首

という語源なのでした。


そして、この「猪首」は、敵の矢も刀も恐れない、勇ましいかぶり方なのだそうです…

理由は分かりませんが、たぶんそうすることで視界が開けるからでしょうか。それによって確かに攻撃はしやすくなるでしょうが、おでこや眉間がさらされるので大変危険なことだったのかもしれません。

つまり

「…直政は唐の頭の甲総角付(かぶとあげまきつけ)まで掛りけるを猪首に着なし…」

とは、死をも恐れぬ若武者の勇ましい姿をかっこよく歌いあげているのであって、決してポチャ系男子がかぶとを太い首の上にかぶっている意味ではないんです。


…ごめん、直政様……_| ̄|○

「猪首の意味も知らなかったんかい!」
と歴史好きの方にはおしかりを受けそうですが、いやはや思い込みとは恐ろしいものです…。


(><。)っ そんなわけで今日の一枚。

今日のネタとも少し関係があるのですが…

22日、「家康公検定」が終わったあと、小牧市で開催された「こまき信長まつり」に行ってきまして。
小牧山城を望む広場(信長公居館跡。現在は芝生の公園)で行われた葵武将隊のステージで、水野勝成さんが珍しい眼帯姿を披露。
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(画像が悪くてごめんなさい)

これは小牧長久手の合戦の時に水野勝成が眼病を患っており、かぶとをつけないで出陣(視界を少しでも広く保とうとしたためか?)しようとしたところ、それを父の水野忠重が大変怒った…というエピソードにちなんだ、粋な演出です(ちなみに、その喧嘩がもとで勝成と父の仲は悪化、しまいには父の寵臣を勝成が斬ったことから勘当されてしまい、長い放浪生活を送ることになってしまうのです)。


水野勝成という名前すら知らない人ばかりなのに、何とマニアックなネタを…と驚きましたが、御本人の口上でも眼病のエピソードについて説明がありましたし、そのあと井伊さんからも丁寧な解説があったので、お客さんも納得してくださり、大変受けが良かったです(´∇`) 。
少なくともあの時ステージを見ていたお客さんには水野勝成という名前と、小牧長久手の戦いで眼病を患っていたというエピソードは強く記憶に刻みつけられたと思います。

もちろん、葵武将隊のステージ自体も大変気合いの入ったもので、他とは格の違いを見せつける素晴らしさでした。


…ええと、これを先ほどの「猪首」に強引につなげますと…
かぶとを阿弥陀にかぶっただけでも危険極まりないのに、ましてやかぶとをかぶらないで出陣するなど死にに行くようなものだったのでしょう。
水野忠重が怒るのももっともなことだったかもしれません(そこまでひどい眼病を患いながら戦に出ようとする勝成のガッツも見上げたものですが)。

ただ、父に叱られた勝成ですが、死ぬどころかこの戦いで一番首を取り、それを家康公の所へ持って行ってお褒めの言葉をもらい、さらに井伊直政とともに先駆けして黒母衣の兵を討ち取り、さらにもう一人も組み討ちで首を取った…という、すごい功名を立ててしまいましたので、以後も父親の言うことを聞くこともなかったわけで…。



そうそう、「こまき信長まつり」、他のグループもいろいろ見ましたが、印象深かったのは清州城の桜華組。
初めて見ましたが、評判通り、のびのびしていて、それぞれのキャラが本当にしっかり出ていて安定感がありました。やはりキャラが立っていると初心者にも分かりやすいですね。
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by mikabushi | 2013-09-24 00:48 | 日記

水野勝成生誕地について

●雑誌「岡崎文化」販売中
 孔作画「マンガで読む三河武士列伝」第12回掲載。今年は水野勝成です。
 詳しくはブログ内のこちらでも。
 葵武将隊の水野勝成さんにツイッターでご紹介いただきました。→こちら

ありがとうございます!

孔のマンガはともかくとして、カラーページには葵武将隊の写真葵武将隊の特集記事、さらに来年3月に葵武将隊が出演する市民劇の脚本も載っていますので、ファンの方にはお買い得な一冊(?)となっております。

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昨日は旧暦の8月15日、水野勝成さんのお誕生日でした。
ちなみにこの人は「自分の人生にとって大事なことは全て15日におきた。だから死ぬ日も15日だ。」
と予言し、本当に3月15日にお亡くなりになったそうです(ー人ー;)

実は水野勝成の出身地は刈谷説、鷲塚説、岡崎説とありまして、未だに結論が出ていないそうです。

お父さんの水野忠重が兄の信元(勝成にとっては叔父)と仲が悪くて刈谷にいられなくなり、相婿と親類の二人の男と鷲塚で同居生活をしていて(勝成本人が「年寄りから聞いた話」として覚書に書いている)、そこへ一向一揆が持ちあがり、家康公の招きで岡崎にきて一揆と戦った(勝成の生まれる8カ月前の合戦には既に出ている)…そのころに勝成が生まれたみたいなんです。
本人は「刈谷出身」だと、自らの業績を書いた碑に残していますが…そもそも自分の生まれた年を間違って書いているくらいなのでどうかなー。

私は個人的に「鷲塚」はないと思うんですよねえ…。
だって、いくら親類とはいえ、野郎三人同居の(たぶんあまり大きくはない)家に奥さんをおいて、さらに奥さんを残して岡崎に三人そろって単身赴任というのもどうかと思うんですけど…

本人の自己申告を信じれば刈谷(奥さんだけ実家に残しておいてそこで生まれた)か、時系列で考えれば岡崎(家康公に呼ばれて岡崎に屋敷をもらってそちらに呼び寄せた時に生まれた)か、どっちかじゃないですかねえ…。

まあどうでもよいことと言えばどうでもよいことですが。

ちなみに。今日仕入れた情報によると…
ジモティーにとって鷲塚は矢作川の西側というイメージが強いのですが、当時は矢作川がなく、内陸にまで海が入りこんでいたので、鷲塚はこんな感じの場所だったそうです。

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し…島!?Σ(゜ロ゜;)!!

鷲塚というくらいだから、鷲が巣を作るようなこんもりとした小島だったんだろうか…。
ていうか、忠重、何でこんな所に住もうと思ったし。
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by mikabushi | 2013-09-21 13:30

帯刀先生!!

堀尾吉晴の官名が「帯刀先生」というのだそうな。

「帯刀先生」。

「たてわきせんせい」ではなく、「たちはきせんじょう」と読むんだそうで。
れっきとした従五位下の官位だそうです。


しかし…

三河武士好き歴女としては「帯刀」とつけば例のあの人が思い浮かぶわけで。



「帯刀先生」。



男子校の数学教師安藤帯刀直次が生徒の永井伝八郎や井伊万千代になにやら教えてる図しか思い浮かばない…。



たてわきせんせいっ!!





…自分のサイトですみませんが、安藤直次がどういう人かについてはこちらを参照されたし。
本当は紀州に梅の栽培を奨励した偉い人です…



なお、「帯刀先生(たちはきせんじょう)」堀尾吉晴さんも若いころは容姿が女子のように優しげであったので「仏の茂助」とよばれたほどの美少年(?)だったそうな。息子も容姿端正だったようなので美形一族だったんでしょう。




うむ、またくだらぬことを書いてしまった………
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by mikabushi | 2013-09-20 10:34 | 日記

浜松八幡宮へ

先日、東京方面にいくついでに、例の『ミステリアス戦国あいち』スタンプ集めのために高速をおりて犀が崖資料館と浜松八幡宮へいってきました。

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浜松八幡宮です。

家康公浜松在城時代には、祈願所として厚く信仰されたそうですが、ここにはもう一つ見所が。

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境内にあるすごい迫力のクスノキ!

この楠は『雲立の楠』といい、三方ヶ原の時に家康公がこの楠の空洞に隠れて難を逃れたという言い伝えがあり、その時ここから白馬に乗った神霊が雲に乗って現れたことからこの名前がついたとか(それ敵に見つかるやろ…)。

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岡崎にも家康公が隠れた洞窟(鳩ヶ窟)とかありますが、あの人は実にいろんなところに隠れていますなー(´Д` )

ていうか、浜松城の目と鼻の先のここで敵に追いつかれてたら、もう隠れるどころじゃないやろ…。

ちなみにこの八幡宮、駐車場の場所が分かりにくくて、車で三回くらい周りを回ってしまいました。
鳥居のすぐ右側に、何かの会館があり、そこに社務所があって、その真ん前が駐車場になります。
行かれる方、お気をつけ下さいね。



もう一箇所のスタンプポイント、犀が崖資料館では、有名なお話好きの館員さんに久々にお会いしましたが、館員さん曰く、「今週に入って愛知県の人しかこないよ〜」とのこと。
やっぱスタンプ集めやってる人多いんですね〜(´Д` )
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by mikabushi | 2013-09-15 19:14 | 日記

気になる男たち

先日ご紹介した、私が構成・作画を担当した小牧市の織田信長マンガについて、戦国情報サイト最大手の火間虫さんのサイトでご紹介いただきました。ありがとうございまする!

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先日ご紹介した「ミステリアス戦国愛知」、スタンプ集めをはじめて6日目。
最初は
「70か所も回ってスタンプ集めるなんて無理無理無理ィ!」(←ジョジョ風)
と思っていたのですが、その間、たまたま名古屋に行ったり岡崎に行ったりして、早くも7個のスタンプがたまっております!

うむうむ、なかなかいいペースだ…。

スタンプ設置場所の中には
「こんな所どうやっていくんだ---!」
みたいなところもあるので、今後は難しくなるとは思いますが(しかしよくこれだけの場所を回ってスタンプ設置を交渉したよね)、とりあえずこれは集めたいと思っているスタンプは↓この人たち(スタンプを押すパンフレットに印刷されているスタンプ一覧表より)。
歴女需要を反映してか、なんかやたらスタンプの武将がイケメンなんですよ…。

まずはじめに。

今後作られることはないであろう、犬山城の成瀬正成スタンプ!
ナルセーヌは武将としての活躍はほとんどないのになぜ甲冑姿…
とかそういうことは気にしない。
その下の無駄にかっこいい徳川義直スタンプ(瀬戸までいかないと押せない)や、織田信孝スタンプ(知多半島の先にまで行かないと押せない)も気になるところ。
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他にも。

70個のスタンプ中、徳川家康の絵柄のものはたくさんあれど、その中で唯一、ヤング家康が描かれているスタンプや、その隣にある堀尾吉晴(勝成父・忠重のマブダチ)スタンプもレア!
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あと、プレ家康時代の松平家好きにはたまらない、松平親氏スタンプ・松平信光スタンプ・松平清康スタンプスリーフラッシュも揃えておきたいところですな(親氏の松平東照宮も信光の信光明寺も遠いんだけどなー)。隣のなんかワイルドな織田信秀パパスタンプも気になるのところ。
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このスタンプラリー、結構やってる人が多くて、私がスタンプを押している時にも同じパンフレットを持った人たちによく出くわしました(なぜか男性が一人で来ているパターンが多い…やっぱ姫隊がイメージキャラやってるから?)
…うううむ、意外とライバル多そうだ(´・ω・`)←実はペア温泉宿泊券の野望をまだ持っている孔さんであった


まあでも、私のように出無精で免許を取っても怖がって運転したがらない人間には、こういうもので半ば強制的に車を運転する機会が増えるのはありがたいですね。70か所は無理でも、半分でも回ればかなりいろんなことが出来そう。
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by mikabushi | 2013-09-12 11:40 | 日記
先日土曜日に納品した「葵武将隊占い」、おかげさまでご好評いただき、初回納品分320枚が早くも売り切れ間近とのことです。ありがとうございます<(_ _)>
そして、再発売まで長らく待っていてくださった皆さん、本当に申し訳ありませんでした。

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ところで、私ことすずき孔は「グレート家康公『葵』武将隊」の公式イラストレーターということになっております(岡崎市観光課から依頼されてグッズ用のイラストを納品したりしております…ほぼボランティアだけど)。

実は去年、武将隊に関する大きなプロジェクトがありまして、私はそのために武将隊メンバーのイラストを新たに描きおろしておりました。

が、諸般の事情でそのプロジェクトがのびのびになってしまい、そうこうしているうちにメンバーの交代があり…ということで、第一期のメンバーのイラストは結局使われないままお蔵入りになってしまいました。

とはいえ、この当時「武将隊をメジャーにしたい!来年も存続させたい!俺の絵で少しでも状況を何とかしたい!」という思いに燃えていたので(今でもですが)、自分で言うのも何ですが、かなり力を入れて描いたイラストだったわけで。
このまま闇に葬るのはどうしても忍びず、この場を借りて披露させていただくことにしました。

まあ、そんな事情でイラストのお金も一銭ももらっていないですし、こんな場末のブログで発表してもたぶん誰からも文句は出ないと思いますが、もし都合が悪かったら消します。

願わくば現在停止中のその「大プロジェクト」が上手くいき、まだ披露できないイラストたちが日の目を見んことを。



初代酒井忠次
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平岩親吉
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渡辺守綱
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初代本多忠勝
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初代榊原康政
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…現在、いろんなイベントや企画が巷に溢れていて、私も今まではそれを当然のこととして受け止めていたのですが、その下には没になった企画や、大人の事情で世に出られなかった物、そのために作られた作品たちが本当にたくさんあるのですね。

武将隊のグッズなどに関わって、今まで東京でマンガを描いていた時には絶対に分からなかったような世界のことをいろいろ学ばせていただいています。
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by mikabushi | 2013-09-11 01:25 | 武将隊
葵武将隊のツイッターで「武将隊占い」をご紹介いただきました。→こちら
ありがとうございます(写真は占いを置かせてもらっている売店「ひょうたんや」さんのご主人です)!



さて、タイトルを見てなんだそりゃと思った方もいらっしゃるかと思いますが、普通にまじめな歴史の本を読んでいて「!」と思う瞬間、ありませんか?私にはあります。

最近読んだ本では、水野勝成の事を調べるために「刈谷市史」を読んでいた時。

矢田作十郎という、三河一向一揆でちょっとだけ名前が出てくる人がいます。武将隊の舞台「ROAD」でも一揆の最初の方に出てきて民衆を扇動していましたね。
また、三河八幡の戦いでは傷ついて倒れていたところを、松平元康軍のしんがりをただ一騎で務める渡辺守綱に救われ、守綱の肩に背負われて生還した人としても知られております(孔の「マンガで読む三河武士列伝その3・渡辺守綱編」を読んでくださった方なら「ああ、あの時の人か」と思われるかもしれません)。



…彼はすごい人だったんですね。


彼と同じく一揆側でありながらそののち家康に仕えて79歳まで生きた渡辺守綱が、後年口述筆記したという文献「守綱記」によると…

もともと家康家臣だった矢田作十郎と蜂屋貞次と筧正重(平岩親吉の耳を射た人)は大変仲が良くて、義兄弟の約束をしていたらしい。

…矢田も蜂屋も筧も、錚々たる一向一揆の立役者たちであります。強い者同士、門徒同士、仲が良かったんでしょうね。
だが疑問は、このなかにどうして守綱がいないのか(彼はこのころ既に「槍の半蔵」というあだ名を持っていたほどの豪の者ですし、戦では前述のように作十郎を命がけで助けたり、また別の戦では守綱自身が蜂屋に命を助けられたりしているなど、親密な間柄だったはずなのですが…)。
そしてなぜその守綱がこんなことを後年わざわざ書き残したのか…非常に気になります。

さらに。

彼らがどのくらい仲が良かったかというと、当時勇猛で知られた矢田作十郎は、水野信元の家臣の持っていた鯉の前立てつきの兜がほしくて、それを強く望んでもらったのだが、蜂屋にそれを望まれるとあっさりあげてしまったとか。

あ、うん、はちやんは兄貴分だったんでしょうかねそれとも作十郎が蜂屋のアニキを大好きで思わず貢いで…じゃなくていやとはいえなかったんでしょうかねていうかなんでそんな仲良しエピソードをを守綱さんが書き遺してるんでしょうかこれ歴史の本筋と関係ない話じゃんふしぎですねそうですね。

しかしそんな仲良し三人組にも危機が。

一向一揆が始まり、一揆側につく者たちが岡崎退去することになったときのこと。打ち合わせが悪く矢田だけが一人取り残されたことから、三人が仲間割れしそうになったとか。
(ちなみに蜂屋の妻も筧の兄正則の妻もともに大久保忠勝の娘だった(ので、その辺の事情もあったのかな?…と刈谷市史。)

うむ守綱は義兄弟でもないのにこの三人の内情をよく見ていたんですね…。ていうかなぜこんなこと書き残すし。


さらに。

尾張藩の家臣の家には矢田に関する別の所伝があり、

矢田作十郎は蜂屋・筧とともに武名が高く、なななんと、あの武田信玄が彼を一目みたいと思ったが不可能なので、わざわざ画家を三河に派遣して矢田の肖像を描かせたんだそうです。ほんまかいな!

しかも

実は矢田は背が小さかったらしく、家康は矢田を描かせるなら座った肖像画を描かせるべきで、立って画家にあってはならない、とわざわざ命令したそうです。

…ううむ、一向一揆がおこったのは家康が独立して間もないころなのに、その前にすでに部下の武名が甲斐にまでとどろいていたとは…。


そんな矢田作十郎は一向一揆の最中に鉄砲に撃たれて亡くなってしまいますが、この人の弟は生き延びて後を継ぎ、その子が尾張藩に仕えたそうです。
その関係か、矢田作十郎所用の銘の入った鎌倉時代の太刀(備前長船兼光)が熱田神宮に所蔵されており、重要文化財に指定されているのだとか。


また、この矢田作十郎の子孫は後に赤穂四十七士のひとりになったとか。


…この矢田作十郎さん、たぶん亡くなったのは20代前半だったと思うんですが(蜂屋の年齢より下だと思うので)、これだけの武勇伝をもっているということは、もし一揆の時に死ななかったら後世どれだけの活躍をしたことでしょう。
矢田さんだけでなく、蜂屋も筧も、きっと本多忠勝クラスの活躍をしたでしょうし、大名にもなっていたかもしれない。

一揆組で一人天寿を全うするまで生き残った渡辺守綱が、生粋の武人であるにも関わらず、わざわざかれらのこんなたわいないことまで書き残したのも、そんな彼らを惜しみ、やがて歴史の中に消えてしまうであろう彼らとのこと、その当時の時代の雰囲気、その中で生きる若者たちのエネルギー、そんなものを懐かしく思い出し、今となっては自分だけが知っているあの日々を少しでも書き残したいと思ったからかもしれません。

一向一揆は確かに悲惨な出来事で、明日をも知れぬ不安な日々ではあったでしょうが、守綱にとっても、蜂屋や筧や矢田にとっても、あのころがたしかに自分たちの青春だったのでしょう。

………

そんなレアネタ満載の「守綱記」が来年「愛知県史」の資料編に全文掲載されると新行先生からお聞きしたので、私はもう楽しみで仕方が無いのですよ!
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by mikabushi | 2013-09-10 02:13 | 日記

萬松寺に行ってきたよ

ついに昨日、自分が描いた信長マンガの現物が届きました。
でもまだ本を開いて読む勇気が無いので(チキンだから)表紙しか見ていないけど…_| ̄|○
読む勇気が出たら写真をアップしまする(><。)


閑話休題。

本日は葵武将隊の初代プロデューサー(現在は戦国姫隊のプロデューサーをやっておられます)の西川先生の舞台「名古屋をどり」を観に名古屋へ行ってきました。


その帰り。

昨日のブログでご紹介した「ミステリアス戦国あいち」のハンコゲットのため、あの織田信秀パパの葬儀が行われたことで知られる萬松寺に行ってきました。

このブログは基本三河武士の話をするものなんですが、信秀さんは三河とは縁の深い方ですし、何より今年描いた信長マンガではたくさんお姿を描かせていただいたので(はっきり言って主人公より楽しく描いていたという…←ただのオヤジ好き)その御報告も兼ねていってきましたよ。

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商店街の中に忽然と現れるあやしい雰囲気の一角。

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あやしい。

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この地下洞窟のようなところが墓所入口です。

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まるで織田家一族から捕り物にあっているかのような(御用だ!御用だ!)通路をいくと

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ビルに囲まれるように残っている信秀さんのお墓に到着。

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その隣には立派な本堂が。二時間に一度、上の扉が開いて信長のからくり人形の劇が上演されるとのこと。

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説明版。「抹香投げつけ事件」「敦盛」を人形で再現するそうですが今回は時間の都合で見られず。

敷地内には信長グッズや戦国グッズなどを売る店もあって、戦国ファンの聖地になっているのが伺えます。

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そして無事ハンコをゲット。また一歩野望(←温泉ペア宿泊券)に近づいたぞ(笑)!


現在ゲットしたスタンプは70分の2個。道は遠いのお…。


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おまけ画像。「名古屋をどり」を観た中日ビルで売っていたおまんじゅう。
かわういのーーーー
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by mikabushi | 2013-09-09 03:03 | 日記

ミステリアス戦国あいち

さて、今日はいつも読ませていただいているかしなさんのブログで見つけた
「三河一向一揆と真宗寺院巡り~一揆の鎮圧に家康側として大きく貢献した水野信元・忠重兄弟。その歴史を学ぶとともに、関係する寺院を訪ねます(説明書きより)」
という、何とも魅惑的な名前の講座&史跡巡りの募集に申し込むべく、岡崎城に「武将隊占い」を置いた後、はるばる知多半島の東浦まで、一時間の距離を車を飛ばして行ってきました!(電話申し込み不可だったので)

…が。

今日の朝にちょうど定員に達して締め切られていたとのことでした

      …_| ̄|○

最近こういうパターン多いなあ私…。


仕方が無いので、キャンセル待ちの申し込みをして、申し込み場所だった東浦郷土資料館(うのはな館)で於大と家康公と水野忠政の石像を見て(東浦町は於大の生誕地・緒川城があったところなので、現在「於大の里」として売り出し中)
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そこにあったパンフなどをかっさらい(もちろん有料の物はお金を払い)
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多少は憂さを晴らしたのですが、

そこでこんなものを発見!

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孔が信長マンガでお世話になった、JTBプロモーションさんの毎年恒例のイベント「ミステリアス戦国あいち」のスタンプ帳。

要は県内の戦国関係の史跡を回り、
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そこにおいてあるスタンプを集めて送ると景品がもらえるという、いわゆるスタンプラリーです。
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これまでやったことがなかったのですが、資料館で他にやることもないので一冊もらって押してみました。

水野信元おじさんのイラスト入りのハンコでした。原始的な手法だけど意外と楽しい…かもしれない。


ちなみにこのスタンプラリー、今年は去年よりさらにパワーアップして回る史跡の範囲も広くなり(浜松まで入ってる!)、集めるハンコもなんと70種類です!
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締切は今年の12月。…全部集める奴いるのか…?いるんだろうなあ…

なお、全部集めて送ると湯谷温泉のペア宿泊券が当たるそうですが、ハンコ一個だけでも応募できるので、ジモティーだけでなく旅行者の方も気軽に応募することができます。

あと、このパンフ自体、無料配布なのにオールカラーで、書いてあることも詳しく、地図もしっかりしているので(さすがJTBプロモーションさんですなー)、見ていて飽きないし、これまで知らなかったいろんなところに行きたくなります。

帰宅してからも思わずこの本を眺めて史跡巡りの計画を立てている孔さんでした(真宗寺院巡りのことはすっかり忘れている)。

公式サイトはこちら→http://www.mysterious-aichi.com/
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by mikabushi | 2013-09-08 00:03 | 日記
大変遅くなりましたが、「葵武将隊占い」新武将バージョン本日から岡崎公園内ひょうたんやさんで販売します。

今回は主に武将隊のマネージャーおあいさんとそのご家族の方が一所懸命に折ってくださいました<(_ _)>

ありがとうございます!

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(あと、4分の1ほどはうちの父が折りました。ありがとう父。)


占い箱に貼ってある絵もちょっと変わりました。

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似てるとか似てないとか…まあおいといて下さい…(精進します_| ̄|○)


変更点としては、新武将の自筆メッセージ、新武将・稲姫(ショートカットバージョン)・半蔵(頭巾バージョン)のイラストが変わったりしています。岡崎公園に行かれる際にはぜひ占ってみてくださいませ。
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by mikabushi | 2013-09-07 02:03 | 武将隊