すずき孔と申します。三河武士の史跡を巡っては感想とかツッコミとか書いてます。HP「三河武士にあいたい!」http://www7b.biglobe.ne.jp/~mikawabushi/


by mikabushi

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ゲームむずい

せっかくWi-FiでiPhoneができるようになったので、オンラインゲームというのをやってみようと思ったんですね。

ほら、人間って最新の武器(メカ?)を手に入れたら野望が芽生えるもんじゃないですか。
世間の流れに乗らなきゃとかそういう野望ってあるじゃないですかー。
(私にとっては野望なのです)


それで

世人もすなるパズドラとなむいひけるをわれもしてみむとてすなってみたんですね。



最初はうまく行ってたんですよ。
モンスターみたいなのもかわいいし。
ルールも何となくわかったし。


んが。


最初の一時間で復活するのに必要な魔法石というのをを使い果たして

ゲームオーバーになっても復活できなくなって

お金を払わないと魔法石が買えないとか言われて


思わずむかっときてアプリごと削除。


あれはただでやろうと思ったらもう一度始めからダウンローしないといかんのですかね…。


こうして私のオンラインゲームの野望は潰えたのでありました…


私にはマインスイーパーくらいがちょうどいいですわー(´Д` )


【追伸・2014年01月31日】
…その後、「ほっとけば勝手にヒットポイント(のようなもの)は回復する」ということを教えてもらい再ダウンロード。
今のところ元気でやってます (゚O゚)\(- -;



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野望つながりでこの人。
世のゆるキャラブームに叛旗を翻すかのような濃ゆい信長さまのラッピングバス。岐阜市にて。
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by mikabushi | 2014-01-29 23:28

渡辺守綱紀行・寺部編

安城の歴史博物館で開催中の特別展「三州に一揆おこりもうす」のおかげで三河一向一揆熱が再燃しつつあります。
先日このブログで石川数正の城・土呂城跡をアップしたので、真宗つながりでこんどは渡辺守綱に関する史跡をご紹介。


…「三河一向一揆ゆかりの地を行く」というとつい信心深いご年配の方向けの渋いツアーを想像してしまいますが、「三河一向一揆」というものを
当時二十代前半だった渡辺守綱や蜂屋貞次や矢田作十郎たちの「青春群像劇」だと捉える
ともう萌えの宝庫というか、ワクワクせずにはいられないというか、そりゃもう色っぽくも切ないドラマに思えるんですけれどね。

「三河一向一揆ゆかりの社寺めぐり」というのはすなわち
「戦いの中で生きた(我こそは天才と思っている、夢多き)若者たちの、滅びに向かってゆく中での熱い友情の物語の聖地めぐり」なんです
と言ったら怒られるかしら…(u_u)


なお、渡辺守綱に関してはわたしのもう一つのブログ「三河武士紀行~渡辺守綱紀行編~」でも幾つかご紹介していますのでそちらでもご覧ください。

【寺部城】
家康公の初陣の城として有名(実は他の寺部城ではなかったかという説もある)。
今残っているのは、守綱が尾張徳川家に仕えてからもらった所領で、実際は陣屋。
現在は公園になっている。礎石がよく残っていて部屋の間取りなどがわかる。大きな仏間があるのが真宗を生涯貫いた守綱らしい。
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【守綱神社】
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寺部城跡のすぐ裏にある、空き地の片隅の鬱蒼と木が茂ったところ。よく探さないとわからない…。
祭神はもちろん渡辺守綱公。

【守綱寺】
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しゅこうじと読む。守綱以下、歴代渡辺家の菩提を弔うために建てられた寺。
本堂は伏見城の軍議の間を移築したもの。そのためか、天女とか松とか、お寺らしくない壁画が描かれている。

【随応院】
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ずおういんと読む。
なぜか渡辺家当主に嫁いだ女性の墓所は守綱寺と離れたここにある。
守綱の正室の墓もここ。
なお、この寺はハスの花で有名で、いろんな種類のハスを栽培している。

寺部城・守綱神社・守綱寺・随応院は一箇所に固まっているので回りやすいですね。

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その近くには豊田スタジアムが。
お寺巡りを終えると目の前に現れるので、新旧のギャップに驚きます。
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by mikabushi | 2014-01-28 22:30 | 日記
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はい、今年から始まった三河のレアな食べ物を(私の実食体験付きで)紹介して行く【三河グルメ】です。
さいしょ「歴史のブロクなのに、こんなコーナーだれが見るんだ」と思ってたら意外にアクセス数が多かった…。

この『生せんべい』は半田市の田中屋さんというお店が出している昔からあるお菓子です。
半田(「ごんぎつね」の作者新美南吉先生の生誕地として有名)が三河かどうかというと皆さんご意見が別れるでしょうが、この生せんべいにはあの家康公にまつわる言い伝えがあるのです。

言い伝えですよ。

…以前商品に入っていた解説(細かいところは違っているかもしれない)によると、
『桶狭間の戦いの後、岡崎に逃げてくる途中の家康公が半田に立ち寄り、空腹のあまり一件の家の前にあった「焼く前のせんべい」をもらって食べたところ、なかなか美味しかったのでそれ以後その家では生のまませんべいを売り出した』
のだとか。

まあ、家康公がわざわざ半田を通って尾張から岡崎に逃げるというのは考えられないのですが、よくある家康公逃亡譚の一つでしょう。
本当に神君とか言われてる割に家康公はかっこ悪く逃げる話がやたらと多い^_^…。

実はこの伝説にはドラマチックな続きがあります。

『…その時、そのせんべいを差し出した家の娘が家康公(当時19歳)に一目惚れしてしまうのですが、家康公は岡崎に行かねばならぬ身。別れの悲しさのあまり娘はとうとう死んでしまった。』

というのです。

まあ、家康公も若い時は祖父の清康にクリソツなイケメンだったそうですので、庶民の娘が一目惚れというのもあったかもしれませんね。


…伝説というより、せんべい屋さんがせんべいを売る宣伝用に作ったお話のような気もしますが、このエピソードのためにもう3回くらいこのお菓子を買ってる私がここにいる_| ̄|○


味は…

せんべいというより平べったいういろうです(^。^)

一枚に見えますが、3ミリくらいのうすいういろうをミルフィーユのように三枚重ねてあります。それを剥がして食べるのか、そのまま縦に切って食べるのかはお好み次第。

こげ茶のところは黒砂糖味で、白いところはたぶん上白糖を使った部分。
食感、味は茶色と白のところで多少違いますが、癖がなくてけっこう甘いので、コーヒーやお茶によく合います。

有名なお菓子で三河のスーパーでも結構見かけますので、入手しやすい商品だと思います。
見つけたら家康公の青春に思いを馳せつつぜひ味わってみてくだされ(c_c)
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by mikabushi | 2014-01-27 09:57 | 三河ぐるめ

三河武士列伝とは

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ええと
私が描いている『三河武士列伝』というマンガは
ぶっちゃけ
↑これを10ページのマンガに縮めて起承転結をつけてドラマもつける作業です(。-_-。)

ちなみに上の写真は水野勝成一人分。
本当はこれにあと三冊くらい本が加わり、そしてコピーできなかった部分の筆写ノートも加わります。

他の人物の史料はもう少し少ないのですが、勝成の場合はネットの情報の出典が不確かなものが多い上、専門書は絶版や非売品が多く、さらに本人も長生きして家も幕末まで続いたため、覚書とか側近たちの手記とか後世の家伝とか伝説とかあれこれ記録が残っているので、岡崎と刈谷と名古屋と福山の図書館を回ったらコピー代だけでたぶん八千円以上かかったと思われ…(しかも勝成関係は館内閲覧・貸し出し不可が多いのです)。

それでも本のコピーは法律で全ページの半分までと決まっているので、コピーを諦めたものもあります…そういうのは要点だけ手書きで写したりしますが、一泊旅行で図書館に来ている時は、時間切れでかなり中途半端だったりもします。

…もちろん史料を集めりゃ面白い本ができるわけではないのですが。

ただ、勝成の場合は、本当にエピソードが意外性に飛んでいて、調べれば調べるほど面白い話がポコポコ出てくるので楽しくてついつい集めてしまいました。

ついには読んで行くうちにだんだん彼が頭の中で自由に動き回るようにまでなったという…。


きっと列伝でご紹介できるのは上の写真の100分の1以下の情報量のものだとは思いますが、アクセス解析でも水野勝成でこのブログを見つけてくださってる方も多いので、描ききれなかった話はまた別の形でご紹介できるといいですね。


三河武士列伝は基本趣味でやっている活動で、本業のマンガの仕事の合間に、本で読んで面白く感じたことや感動した三河武士のことを知ってもらいたくて描いています。

でも、一応趣味ではありながら、どうやったら面白く、小学生でも分かるように説明したらいいかとあれこれ考えて描いてはおります…。

だからこうしてマンガやネットで書いても、細かい間違いの指摘しかメールが来ないと泣きたくなります(しかしなんでああいう間違い指摘メールって、時候の挨拶もなく、名乗りもせず、要件だけなんでしょうね。いきなり自分の家のポストにそういう手紙が入っていたら、腹が立たないんでしょうかね…。そして一晩かかって資料を確認し、返事を書いても絶対あちらから返事は来ない…。こちらの作品に愛がないなら指摘メールなんて出さなければいいのに、とは思うのですが)。


具体的な感想を考えて仰ってくださるのもありがたいですが、買って読んでくださって、できれば一言面白かったと言ってもらえれば十分です。
これがきっかけで興味を持っていただけたらもっと嬉しいですけれど。

ちなみに、それほど自分は歴史には詳しくないので、イベントなどで話しかけられてもあまり専門的なことや調べてないことはお答えできません(。-_-。)

あと、描き終わった人物のことは速攻で忘れます…脳内メモリー少ないので。

趣味で始めたことではありますが、もうかれこれ描き始めて13年、自費出版で手売りと委託販売だけで売っています。
それでも見つけて買ってくださる方々のおかげで「三河武士列伝・その1」だけでそろそろ発行部数2000部ほどにはなるので、こんな記事も書いてみました。
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by mikabushi | 2014-01-26 10:00
石川数正の作った城というと国宝松本城ですが…

岡崎市土呂町の土呂八幡宮。
あの石川数正が築城した(住んでいだ)と言われるお城の跡です。
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このあたりでは今でも三八市という市が開かれますが、この市は数正が家康公に願い出て始めたものだそうです。
お城は跡形もないので、松本城と共通点があるのかどうかよくわからないけど、本丸はちょっと離れたところにあるので(ここは二の丸)、かなり大きい城だったと思われます。石川氏はすごかったんだなあというのは何となくわかります。

なお、このあたりにはのちに宇治の茶商として幕府に重用される上林家の上林竹庵(ペットボトルの綾鷹に名前を貸しているお茶屋さんの祖先)が一時期住んでいたという言い伝えもあります(参河志)。
その関係か、土呂では昔お茶を作っていて、数正は毎年家康公にお茶を献上していたという記録もあります。

あと、数正が秀吉に献上した、初花の茶入れも確かこの辺で見つかったのではなかったかな…?

数正が茶人だったかはわからないのですが、茶会で直政に罵倒された話といい、お茶と縁がある武将ですね。


上林竹庵といえば、武士じゃないのに鳥居元忠と一緒に伏見城で戦死した人(旗印は茶筅だったそうな)ですが、鳥居元忠とも仲が良かったようですね。

ちょっと史料が手元にないので細部が不正確かもしれませんが、「改正後三河風土記」によると、伏見城に元忠たちが立てこもるまえ、家康公が見舞いに来たとき、元忠は家康公の家来たちに煎茶とたくさんの饅頭を振舞ったと言われます。兵士は饅頭がもったいないので懐にしまったとかいう、どうでもいい話もありました。

この当時まだ煎茶はないと思いますが、何かお茶を煮出したような飲み物はあったんでしょう。
ひょっとしたらこれも上林さんの気遣いだったのかもしれませんね。

討ち死に覚悟でも
お、も、て、な、し!
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by mikabushi | 2014-01-25 11:05 | 日記

長久手古戦場跡にRoad2

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先日仕事で長久手古戦場跡に建つ長久手市郷土資料室に行ってきまして。
せっかくなのでその受付に2月8日の葵武将隊の舞台『Road2〜小牧長久手の戦い』のチラシを置かせてもらいました(^O^)

ちなみに私が脚本を担当させていただいております(#^.^#)

脚本はすでに書き上げてプロデューサーや演出の方にお任せしてあるので、どう料理してくださるか私自身も楽しみです。

このチラシ、あまり枚数はないのですが、尾張方面の方、同地に行かれた際には是非お手にとってご覧くださいませ。

チケットはまだ若干あるそうです。
詳しくは葵武将隊のホームページまで。


ちなみに

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前行った時には何もなかった古戦場跡の前に何とイオンができるそうで、現在絶賛工事中。映画館もできるらしいです!
また、隣の駅前にはIKEAもできるそうです。

うーん、これで古戦場の史跡巡りがより楽しくなりますな〜(≧∇≦)


ちなみに・2

この日のお昼ご飯は名古屋駅近くの『猿カフェ』というところでした。
このカフェ、支店ごとにロゴについている猿のデザインが違うのですが、名古屋駅前のこのお店のロゴの猿は
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ひょうたんの馬印を持ってました!
そりゃ名古屋で猿といったらこの人しかないですよねー。

と、笑ってた数日後に気づいた。


長久手攻めを前にして羽柴筑前のお店で腹ごしらえしてしまった∑(゚Д゚)


まあ、美味しかったからいいけど(≧∇≦)
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by mikabushi | 2014-01-24 14:53 | 武将隊
【木俣家屋敷址】
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現在では彦根城の入り口近くにある、この門構えが彦根藩城代家老木俣家の屋敷址ということになっております(内部非公開)。
私もずっとそう思っていたのですが…
最近「新編彦根市史」を読んだ所、初代木俣守勝の頃の木俣家屋敷はここではなかったということが判明。

ではどこかというと…

【慶長年間当時の木俣家屋敷址】
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何と、彦根城のずっと先、琵琶湖に突き出た先端部分、今は「山崎曲輪」と言われているところが木俣守勝の屋敷だったようです!

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ここが本当に先っちょです。
入口付近は観光客でにぎわう彦根城ですが、もうこの辺になると人通りも少ないです。
一応遊歩道は整備されているものの、私が行ったときは釣り人が2~3人いるだけの、ちょっとさみしいところでした。

地図で見るとこのあたりです(「新編彦根市史」より)。
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今、木俣さんち跡があるのは同じく井伊家の重臣椋原家の屋敷があった場所になります。

山崎曲輪に屋敷があったということは、琵琶湖から大坂方が攻め入って来た時には、真っ先に迎え撃とうという、木俣守勝の筆頭家老の姿勢を表したものでしょうか。

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角度を変えて木俣さんち。いったいお前は何枚山崎曲輪を撮影したら気がすむんだ!と言われそうですが。
いやすみません。
実はブログにアップしてないだけでもっと撮っているんですようふふふ( ̄∀ ̄)←


さて。

ここで
「木俣守勝ってどんな奴だよ!」と思われた方!

ぜひ↓をお読みください


(以下、『木俣守勝ってこんな人(木俣さんかわいそう伝説)』をお送りします)

9歳で家康公に仕えるものの、19歳で何故か三河を離れて明智光秀に仕え、その下で可児才蔵と一番乗りを競ったほどの武勇の士だった若き日の木俣さん。

しかし本能寺の変の直前に明智から離れて、再び家康に仕えた、結構世渡り上手な木俣さん。

伊賀越えにも同行し、自分の持っていた大事な金の笄(こうがい)を食料と交換して家康公一行を救った、生きるためには武士のプライドとか気にしない!な苦労人の木俣さん。

その一方で、
「首を切られた時にー食べたものが首の切り口からー出てくるとみっともないからーご飯いらなーい」
とかぬかすプライドの高い井伊万千代。

伊賀越えのあと、長年の外国留学のキャリアを生かし、家康公の下で重要な地位につけると期待していたものの、何故か井伊万千代の与力にされてその乱暴な性格に苦労するかわいそうな木俣さん。

直政が一人で駆けだして赤備えの隊列が乱れると、家康公から
「木俣は何してるんだ!木俣に腹切らせろ!」
と怒られたりして、いわれのない非難を受ける
気の毒な木俣さん。

でも
「この生意気なガキの下で手柄を立てれば、いずれ家康公の直参になれる…はず(>Д< ;)」
と願いつつがんばる木俣さん。

そうして一生懸命直政の下で働くものの、その苦労が見事に報われ?いつの間にか井伊家の筆頭家老としてなくてはならない存在になってしまった本当に気の毒な木俣さん。

直政の早すぎる死により、いろんな出身の家臣による寄り合い所帯で、しかも幼い当主をかかえた井伊家を一人で支えなければならなくなった頑張れ木俣さん。

「もうやだー」と思いつつも、それでも家臣たちの内部争いを納め、井伊家の後継ぎをより有能な次男の直孝にし、家康に任された彦根城築城を成し遂げ、譜代筆頭井伊家の重鎮として江戸時代を通じて重きをなした木俣家をおこしたすごいすごいよ木俣さん。


…どうです、日本の働くおとうさんにとっても共感されそうな木俣さんではありませんか?


昔この山崎曲輪に木俣さんがいて、直政亡き後の彦根を背負って
「何でわしが万千代が死んだあともこんな苦労をせにゃあかんのだ…ていうか早く亡くなりすぎだぞ万千代め!…ぶつぶつ」
とか思いながら働いてたんだなーと思うと胸アツです(つω`*)

木俣さんに関してはまた列伝で詳しく書きたいですね。
木俣関連の史料は今の時点では翻刻されたものも少なく、原史料に当たれそうもないのが難点ですが。

なお木俣家屋敷は、大坂の陣後の城下町改造によって現在の場所に移され、南側(キャッスルロード方面)にあった大手口も現在のように東側に移されたそうです。

ちなみに、その後の井伊家がどんなに木俣家を大事にしていたかといいますと…
江戸時代、井伊家の殿様は江戸から彦根城大手口まで来ると、いったん門前の木俣家で休憩し、そこから城に入るというのが慣例だったそうです。
…というのをどこかの史料で見かけたのですが、出典が分からなくなってしまいました。
結構あちこちで見たので有名な話だと思うんだけど。


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雨がかなりひどくなってきたので、キャッスルロードにある分福茶屋(彦根の老舗和菓子屋たねやさんがやっているお店)で雨宿りも兼ねて一服。
お店の人の対応も親切で、お庭の雰囲気もよく、ぜんざいもおいしかったです。




そんなこんなで次第にディープになってくる彦根旅行でした。
今度は井伊家の家臣団のことも予習して、関連史跡も巡りたいです。
(史料がないのが難点ですが…結局木俣さんのお墓もどこか分からなかった(><。))

【彦根土産】
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『政所茶』(まんどころちゃ)

滋賀県はお茶が盛んなところですが、今回買ったのは彦根の大きなお茶屋さん、政所園さんのお茶です。

各地に旅行に行くとその土地ならではのお茶を買うのが楽しみなのですが、このお茶は在来種(昔からその土地に生育しているお茶)のお茶です。
ちなみに現在全国で栽培されているお茶は70%が育てやすくて葉っぱも大きく、各地のお茶とブレンドしやすいという品種「やぶきた種」です。

『政所茶』袋の後ろの解説より
『「宇治は茶所、茶は政所」と詠われ、江戸時代本居宣長により記された「玉勝間」にも証されているように全国でも有名なお茶であります。(中略)現在では希少な品種である「在来種」のお茶で、無農薬・有機栽培によるものです。そのため「のど越しの良さ」は他のものでは替え難いものとなっています。』

政所茶、さっぱりして懐かしい味がして美味しかったです^o^


ちなみに、知り合いのお茶屋さん曰く、在来種のお茶を地方で買う時には値段が高めのものを買うといい、だそうです。
在来種は作るのにコストがかかるので、安いのはどうしても他のお茶とブレンドしたものになるからだそうです。




【以前の記事はこちら↓↓↓】
「彦根に行ってきました・その1」
「彦根に行ってきました・その2」
「彦根に行ってきました・その3」
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by mikabushi | 2014-01-23 17:43 | 日記
【芹川ケヤキ並木】
足軽屋敷をぬけて芹川(せりがわ)へ。
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ガイドブックによると、ここはケヤキ並木が有名とのこと。

なあんだケヤキ並木かと言われそうですが、
この芹川は彦根城の城下町を整える際に井伊家によってまっすぐに整備(付け替え)された川。
その堤防を補強するために植えられたケヤキですので…

そう
ここには樹齢300年から400年といった巨大ケヤキがごろごろと植わっているのです!
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遊歩道になっていますが、街路樹の一本一本がすごいのです。
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何かの生き物のようです。
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樹には名前のついているものも。これは「赤鬼の樹」
角度によっては角が生えているように見えるからでしょうか。
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これは「開国の樹」。何でかなーと思って裏に回ると…
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大きな洞が!幕末の幕府を幹の中が朽ちた巨木に例えた、手塚先生の「陽だまりの樹」の一節を思い出しますね。

最初は半信半疑で行ってみましたが、樹の一本一本がとても個性的で、自然も豊かで思った以上に楽しめました。
彦根のケヤキ並木、お薦めです!


【スミス記念堂】
再び彦根城近くへ。
何故かというと、以前から噂で聞いていた「スミス記念堂」という建物を是非見ておきたかったからです。
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これが「スミス記念堂」です。一見普通のお寺の御堂のようですが、よく見ると…。
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鬼瓦にクロスとブドウのレリーフが!
そう、これはキリスト教の礼拝堂として建てられたものだったのです(現在は教会としては使われていません)。
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扉にも、竹や梅など純和風のレリーフに混じってナチュラルに十字架とブドウが。
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よく見ると窓も西洋風。
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扉の取手も特注品。ブドウモチーフ?
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釘隠し?にも十字架。
他にもいろいろ写したんだけど、ちょうど雨が降ってきてピンぼけ写真(雨粒にピントが合ってしまった)になってしまったので載せられませんでした。
個人的にこうした異文化セッション的な建物は大好きです(^O^)/

この建物は、彦根が大好きなアメリカ人牧師スミスさん(彦根高等商業学校の英語教師)が昭和6年に私財と寄付を投じて建てた「須美寿記念禮拝堂」を、平成8年に解体保存、彦根城が見えるこの場所に再建されたのだそうです。
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スミス記念堂からの眺め。たしかに、彦根をこよなく愛する人にはたまらない風景ですね。
この建物、現在ではコンサート会場などに利用されているようです。

詳しくは管理団体『NPO法人スミス会議』http://smith-meeting.com/まで。




お昼ごはんは彦根4番街スクエアにあるお店「花」さんで「ひこね赤鬼丼」をいただきました。
赤こんにゃくをフライにして揚げたのがサクサクとしておいしかったです:.゚ヽ(´∀`。)ノ:.。+゚
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ひこね丼は一般公募によって考えられたいくつかのレシピ(ひことろ丼、ひこねの赤鬼丼、ひこねちらし丼、ひこ天丼、ひこねの赤丼など)があり、一つのメニューをあちこちのお店で食べられるようです。
「ひこね赤鬼丼」も、他の何軒かのお店で出しています。
※ひこね丼が食べられるお店一覧はこちら






さて、腹ごしらえした後はとうとう木俣守勝に会いに行きまする\(-o-)/→続く


【続きはこちら↓↓↓】
「彦根に行ってきました・その4」

【以前の記事はこちら↓↓↓】
「彦根に行ってきました・その1」
「彦根に行ってきました・その2」
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by mikabushi | 2014-01-23 15:16 | 日記
…去年10月に行ってきた彦根紀行の続きです(-_-;) 
(※「彦根にいってきました・その1」はコチラ

さて、今回の旅のテーマは「今まで行っていない彦根を回る!」でした。
彦根は何度も来ていますが、たいてい彦根城・キャッスルロードと四番街スクエアで食べ歩き・花しょうぶ商店街で終わってしまうので、そろそろ違うところが見たいなーと思ったのです。

【旧池田屋敷長屋門】
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(↑の絵は昔の様子を記録した絵です)
ここは何と井伊家に仕えた忍者(伊賀者)の屋敷だった所です。
彦根藩では分限(身分)によって長屋門も格式が決められていたそうで、ここは中級武家屋敷の長屋門として遺構がよく残されていたので、市の指定文化財になったそうです。
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母屋は既に取り壊され、長屋門(普通の門に、門番の部屋や馬屋などがついている)の部分だけが最近まで民家として利用されてきました。
家の木組みなどは昔のままだったので、以前の状態に復元して最近一般公開されたそうです。

伊賀者といってもからくりなどの仕掛けはないのですが、けっこう考証にこだわってお金をかけて復元されたそうで、家の土間もコンクリートではなく、土を突き固めて作られてあります。
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家の天井も昔のまま
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昔のものをなるべく残すため、新しい柱に交換せず、あえて痛んだ所だけ補修してあります。
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改修するにあたり発見された馬屋の跡。昔は部屋一面に床が貼ってあったとか。
中央の穴は馬の糞の始末をするためのものだそうです。清潔ですね。
人間は土間ですが、馬はフローリング暮らしです。
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ちなみに彦根藩では、250石以上の藩士に馬扶持が支給されていたそうです。
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門なので外を見るための窓なんかもあります。この屋敷はちょうど中堀と外堀の境にあった屋敷なので、ひょっとしたら外部からの侵入者を見張るため、伊賀者の末裔が置かれたのかも。
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奥には中間(武家奉公人)部屋が。現在では案内の方の詰め所兼イベントスペースとして利用されています。
あまり訪れる人もいない史跡なのですが、ものすごく詳しい案内の方もいて(暇そうにしていたのでついつい話し込んでしまった)小一時間ほど過ごしてしまいました。
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あと、ありがたいことにここには彦根の史跡ごとに発行されているパンフレット(文化財解説シートといいます)が一か所にまとめておいてあります↑。
興味のあるものだけもらっていってもよし、一枚ずつ全種類もらってものすごくマニアックな彦根ガイドを作るもよし。


そうこうしているうちに開館時間になったので一路、彦根市図書館へ。

【彦根市図書館の前】
さて、今回の旅の目的の一つは、井伊直政の家老木俣守勝について調べることでした。
…が

彦根市博物館には木俣家はおろか井伊家に関する資料もあまりなくてちょっとがっかり。
市史などを見ると木俣関連の史料は「井伊軍志」の著者で現与板藩井伊家の当主の井伊達夫先生の所蔵のものが多いようですね(^^;)

まあでも、井伊家伝記や井伊家墓所の地図や直政の義弟(妻の妹の旦那)の伝記などいろいろレアなものがゲットできたのでホクホクしながら図書館を出たのでした。
(これらの本でゲットした情報はまたいずれ~)

すると。
図書館の前にこんなものが。
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「木俣修先生顕彰歌碑」
私は初めてお名前を知りましたが、彦根出身の歌人・木俣修さんという方が木俣守勝の子孫なんだそうです!
実は彦根では木俣というとこの人の方が有名のようで、図書館で検索しても歌集ばっかり出てくるんですね~。

この碑によると、修さんは実際偉い人で、北原白秋に認められて弟子となり、宮中の御用係として歌会始の選者を長く務めたりなさったそうです。


さて、思わぬところでキマタン←の子孫に出会ったあとは、以前から行ってみたかった善利(せり)組足軽屋敷へ。


【善利(せり)組足軽屋敷】
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彦根藩の足軽さんたちが住んでいた地域です。
「善利(せり)組」というのは足軽のグループ名で、他にも中藪組・切通組・大雲寺組・中組・北組なんかがあったそうです。

大名の足軽は長屋住まいだったのも多い中、彦根藩の足軽さんの家は小さいながらも庭つき一戸建てだったそうです(さすが井伊家!)。

「くい違い」(十字路が少し食い違って作ってあってわざと通りにくくしてある道)や、「どんつき」(行き止まり)といった城下町特有の道の作りや、今でも狭い道に面して住宅が密集しているようすが何となーく当時をしのばせます。

もちろん新しい家も多いのですが、まだ30戸あまりの足軽屋敷が残されており、パンフレット曰く「これだけ足軽屋敷がまとまって残っているのは全国的にも珍しい」のだそうです。

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…まあ、足軽屋敷といっても現代の建物も多く、普通に歩くとどこを見ていいのか良くわからないので、案内所で配布している詳しい地図をゲットするとか、時々やっている「足軽屋敷公開」等のイベントに合わせていくとかした方がいいんじゃないかなーと思います(^▽^;)
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さて。このブログで一度にアップ出来る写真の上限に達したので、次回に続きます→

【続きはこちら↓↓↓】
「彦根にいってきました・その3」
「彦根に行ってきました・その4」
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by mikabushi | 2014-01-23 12:24 | 日記

鬼半蔵の槍・現代の鬼

新宿の西念寺にある服部半蔵正成所用の槍。
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未来の鬼?エヴァと日本刀展に出品されたエヴァ型の面頬
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同展に出品された、渚カヲル(ある意味一番怖い鬼)をイメージしたこしらえ。関市の展示会場で初出品。
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柄部分を拡大。三種類の鮫皮を貼り合わせて作ったもの。
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※追伸…今回は最近変えたi-phone5で投稿したんだけど、何に感動したかって「ふこうず」と打って「深溝」と一発変換されたこと!アップルちゃんはアメリカ出身なのに良く知ってるなあ!
昔は携帯の変換機能と言えばおバカなうえに学習機能もなく、「あしかがよしみつ」と打って「アシカがよしみつ」と変換され、プールでビーチボールを回している垂れ目オヤジを想像してしまったものだが、今やPCの方がずっと頭悪い…。
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by mikabushi | 2014-01-20 11:24 | 一日一服部