すずき孔と申します。三河武士の史跡を巡っては感想とかツッコミとか書いてます。HP「三河武士にあいたい!」http://www7b.biglobe.ne.jp/~mikawabushi/


by mikabushi

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今日もまた予約投稿です本当です<(_ _)>

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御旗山に移動する前に本陣がおかれた色金山。

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床机石。家康公が腰をかけたと言われる。

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色金山頂上は整備されており、こんな立派な櫓風展望台が。

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古戦場公園の最寄り駅はリニモの長久手古戦場駅。全国で唯一古戦場とつく駅なんだそう。
近所にはイオンもできるそうなので、今後ますますこのあたりは発展していくでしょう。


ちなみにこの日は用事があって午前中に長久手市内にある万博跡地(モリコロパーク)へ。

半ば崩壊したキッコロがいました。
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by mikabushi | 2014-02-28 02:00 | 日記
引き続き予約投稿です<(_ _)>


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以前ブログでもご紹介した桧ヶ根公園。堀秀政本陣跡。
このあたりで深追いしすぎた康政は返り討ちにあってボロボロに。

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そこで見かけた看板。なんとワーテルロー市と長久手は姉妹都市だった!秀吉はナポレオンだったのか…。

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家康公が本陣を構えた御旗山。今は富士浅間神社が建っている。
ここに家康公が本隊を移して金扇の旗を掲げたので、それを見た堀秀政が退却した。
それで康政は命拾いしたと言えなくもない…

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そこからの眺望。確かに戦況がよくわかる。

続く…
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by mikabushi | 2014-02-27 02:00 | 日記
しばらく忙しくなるので予約投稿にします。

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先日行った、長久手の戦いの史跡写真いろいろ。
これは郷土資料室にある喫茶店の看板です。
看板の文句がなにげにシュール。

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池田恒興戦死の地。古戦場公園の敷地内にある勝入塚。池田恒興が討たれたところ。
息子が戦死した場所(庄九郎塚)や娘婿が死んだ場所(武蔵塚)はすぐ近く。
池田さんはRoad2では出せなくて本当にごめんなさい。

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庄九郎塚。恒興の長男、之助(元助)の戦死の地。
塚が立っているところは子孫が繁栄している家なのですね。
それが先祖の栄光を讃えるためにたてるのですね。
次男(池田輝政)が生き残って出世してよかったよかった。

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ほど近くにある武蔵塚。森長可戦死の地。子孫が明治になって建てたもの。
こちらも弟君(森忠政)が生き残ってよかったよかった。

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兵士たちが戦の後、血を洗い流して池が赤く染まったという血の池の跡。

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現在では公園兼避難場所になっている公園。あまり避難したくないネーミングである。

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すぐ近くには兵が鎧をかけたという鎧掛けの松。現在の松は4代目。
このすぐ前は交通公園になっていて、車校のようにちいさい信号機や横断歩道なんかが立派に整備されている。
ちびっこたちが交通規範を学んでいる横で400年前のルール無用の血なまぐさい戦闘に思いをはせるわし…。



続く…
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by mikabushi | 2014-02-26 02:00 | 日記
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とうとう横綱キターーー!
というほど愛知県民に親しまれているソウルフード、とんちゃんです。

名古屋名物と言われていますが、そもそも赤味噌を名産にしているのは三河でありまして(以下略)。

とんちゃん(別にちゃん付で呼んでいるのではなくこれがフルネーム呼び捨て。アグネス=チャンとかセバスチャン、今風に言うならパトリック=チャンみたいなものであろう…)。

別名どて(どて煮)。

又の名をモツ煮。

おしゃれに言うとホルモン煮…?


その昔、オヤジギャルという言葉が流行った時、オヤジギャルの典型として若い子が居酒屋でモツ鍋をたのむ姿が取り上げられていた記憶がありますが…


はっはっはっ東京は田舎だなあ!

愛知では昔から老若男女問わずモツくっとるわー。


豚の内蔵を赤味噌で煮込む。

白じゃいかんでね。

赤味噌で

煮込む。

煮込む。





これでもかと煮込んでコテコテになったのが美味しいー(≧∇≦)


以前、正月に神社かどっかにいったところ、参拝客への振る舞いにどてが出て、さすが愛知と感心した記憶もあるんだけど、うーんどこだったかな。
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by mikabushi | 2014-02-25 01:59 | 三河ぐるめ
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どうも。
タコの姿焼きです。
一匹のタコを丸ごと鉄板に挟んで焼いたものです。
これをパリンと割って、お茶受けに少しずつパリパリ食べます。
もちろん湿気は厳禁。

三河では昔からあるオヤツなのでてっきり全国区なのかと思っていたら、以前ジャニーズの番組ですごい珍しがられていたので、そういえば東京では見かけなかったなーと思って載せました。

考えてみたら、スーパーのお菓子売り場にこんなプレスされた巨大なタコが普通に置かれているのはちょっとシュールかもしれない…。

知多半島でも作られているようですが、三河の一色でも作られています。

タコの他にイカの姿焼きもありますが、タコの方が高級かな?

姿焼きには、本当にせんべいのような食感のパリパリタイプと半分スルメのようなしっとりタイプがあって、私はパリパリタイプの方が好きです。
ちなみにパリパリタイプの方がお値段高めです。

見かけたら買って見てください。
早めに食べないとしけてふにゃふにゃになるので注意。



【閑話休題…オリンピックを見ていて思った事】

突然ですが、昔友人に教えてもらった「呪いが実現する三要素」というのがあります。

つまり、呪いが本当に実現するためには

1・まず呪いをかけた側が「この呪いは絶対きく」と思い込むこと
2・呪いをかけられた人が「ああ自分は呪いをかけられたんだ」と信じ込むこと
3・そして周囲の人々が「あの人呪いをかけられたんだってねかわいそうに」と思って彼を見ること


の三つが必要なんだそうです。

呪いというと物騒ですが、他にも利用できる考え方のような気がします。
今回オリンピック選手を見ていると、メダル候補と言われる人は必ず「金メダルを取る」と周囲に言い続けていましたが、あれも「良い呪い」の一つなのかもしれません。

素人から見ればもう少しオリンピックを楽しんでくればいいのにとか、そんなに自分にプレッシャーをかけなくてもとか思ってしまうのですが。

でも、考えてみれば周りは確実に進歩しているのだし、二位か三位でいいとか、勝負なんて関係ない自分らしければとか思った瞬間、本気で金を目指している人に追い抜かれて現状維持すら危うくなるのでしょう(そうじゃないタイプの人ももちろんいる)。

普段からでも「金メダルを取る」一度そう決めて周囲にも公言すれば、何をするべきかも自然と見えてくるだろうし、生活全てがそれに向かってピシッと前向きになっていくだろうし、周りから良い情報もどんどん入ってくるだろうし、よい循環となって結果も出てくるだろうし、いい指導者や助力者にも巡り合えるだろうし、そうすれば半信半疑だった人も信じてゆくわけで、つまりは「良い呪い」実現のためにどんどん周りが動いてゆく。

だから頂上を目指す、と公言するのですね。


結果そのもののためにではなく、そこに行くための自分の気持ちを高めたり、自分を取り巻く全体がいい方向に向かってゆくために。







というわけで。

私も今年は一番にこだわって
「今年の家康公検定では百点取る!」
を目標にしたいと思いますo(`ω´ )o

今のところ、

第一回 100点
第二回 100点
第三回 98点
第一回 99点(三都市合同で開催したので仕切り直しで第一回となっている)

で、少し遠ざかっておりますが(^▽^;)
よい呪いが本当にきくかどうか、試してみる意味でもがんばりますよ!

もちろんくやしい思いをしたくないというのもあるけれど、この目標によって、今年は歴史に対してもっと真剣に向き合えるような、迷いのない生き方をしたいなと思います。
(六龍堂さんのような「スーパー歴女」が自分の理想です…(´ρ`*))


仕事の目標は…
まだメダル圏外なので、いつか言えるといいな(><。)←まず言えるようになるのが目標。
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by mikabushi | 2014-02-24 11:47 | 三河ぐるめ

滝山寺鬼祭り

こんにちは。お仕事がひと段落したので久々のブログ更新です。
仕事中はテレビもほとんど見ていない(原稿をやっていると下を向いてしまうので、画面を見ないと意味が分からないスポーツなどは基本見られない)ので、オリンピックのこともあまりよくわからずすっかり日本中の感動の嵐に取り残されてしまいました。


去る2月15日、以前から一度行きたいと思っていた、岡崎の滝山寺の鬼祭りに行ってきました。

滝山寺には以前何回か行っているのですが(過去のブログ参照;「三河武士紀行~岡崎にある意外なもの⑧『源頼朝の髪と歯が納められた運慶作の聖観音』)、この有名なお祭りには行ったことがなくて、この日も仕事の締切が迫る中ずっと迷い続け、夕方になってやっと決心がつき急いで電車で向かった次第です(優柔不断)。

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そんなわけで夜もとっぷりと暮れてから滝山寺着。
山の中にあり普段は人けのないお寺ですが、今日ばかりは参道に屋台もあふれ、子供たちもたくさん来ています。

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前日の大雪のせいで足元ぐちゃぐちゃの中、広い境内を埋め尽くす人、人、人!

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火祭の前の『庭まつり(田遊祭)』を見ながら、皆さんカメラ片手にクライマックスの火まつりをまっております。
そういえば滝山寺は源頼朝ゆかりのお寺なので、氏子さんたちのはっぴの背には石川数正と同じ「丸に笹竜胆」の家紋がついてるんですねー。

「オウ…なんか数正の親衛隊っぽい…(´ρ`*)」
おもわず腐ったことを考える孔さんでありました(つω`*)←祭りちゃんと見ろ

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やがて松明を持った人々が本堂の裏から回廊を通って登場。

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こんなふうに本堂の周りをぐるぐると回ります。

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そのうち本堂(重要文化財・室町時代前期の建立)の中にも男たちが松明を持ったまま入っていきます。
うわーあきらかに火が柱についてるんですけど!
本堂まで燃えてしまわないかと見ていてハラハラ…。

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滝山寺のこのお祭りのみで使われる祖父面、祖母面、孫面の3体の鬼面のうち、孫面をかぶった子供を皆に見せるため(?)欄干の上に乗せています。
ちなみにこのお面は運慶作と言われていますが、それが本当だったらもう値段の付けようがないものでしょう!
運慶作(と言われている)のお面をこうして現役で使っている(しかも火を使う祭りで!)なんて、本当にこの滝山寺の鬼祭りくらいなものでしょうねえ。

このお面をかぶる役の人は、七日間斎戒沐浴して別室で起居し、女との接触も禁止され、四足動物の肉を口にせず食事も男の人が作ったものしか食べないのだそうです。
孫面をかぶる子供さん、ちょっとかわいそうですねー。

何でそうするのかというと、
鬼面はもとは父面・母面もあったが、二人の旅僧が斎戒沐浴せずに父面・母面をつけて祭りを行い、面がついて離れず息絶えてしまった。この二人を薬師堂の前に葬り鬼塚として供養したため父面・母面は残っていないといわれています。(滝山寺HPより)
だからなんだそうです。

他にも7世紀から続く古刹滝山寺には様々な伝説が残っていて、本当にここだけで一つのファンタジー世界のような気がいたします。

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そして

10分ほどで火まつりは終わり、ぞろぞろと帰り始める人々。

あれ?もう終わりかやー

早っ



滝山寺の鬼祭りはこの火祭の前に、午後からずっとお祭りがおこなわれており、大松明・12人衆行列、仏前法要、長刀御礼振り、鬼塚供養(豆まき)、庭まつり(田遊祭)、火まつりという段取りがあるのだそうです。
来年はもうちょっと早く来て、このお祭りの意味をゆっくりかみしめたいものです(-_-;)

ちなみに鬼祭りといってもこの鬼は五穀豊穣と天下泰平をもたらす良い鬼さんだそうですので、追い払われたりしないんだそうです(これもHPの受け売り)。


【アクセスについて】
普段からバスが少ない滝山寺(二時間半に一本!)ですが、さすがはお祭り当日、帰りはバスがたくさん出ていて、東岡崎駅に直行できたので楽でした。
ただ、これだけ有名なお祭りにもかかわらず、行きは東岡崎からはあまり臨時バスが出ていなくて、火祭りに間に合うかどうかハラハラしました。
地元の人は総合グランドまで車で行って、そこからシャトルバスで現地に向かうようです。
公共交通機関を使う人は、バスで総合グラウンドまで行った方がよいかもしれませんね。
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by mikabushi | 2014-02-21 23:59 | 日記

三河武士的チョコ

【恩義チョコ】
本多「殿!御家がために討ち死にしし、本多家の父祖の血と汗と涙の練り込まれし実物大鹿角チョコにござるぅぅ!」
大久保「一人の裏切り者を出さなかった大久保チョコこそ最高!われら大久保兄弟全員分を捧げん!(注:大久保家は兄弟がやたら多い)」
石川「ふっ…三河一向宗の大檀那の石川一族。本願寺との縁故(コネ)により京より取り寄せしチョコご賞味あれ。」
井伊「限定3名様の希少チョコ!昨日深夜から並びし最前列の福島を出しぬいて買ってまいったわはは」
榊原「食い物に頼るなど。羽柴筑前をも怒らせしこの筆にて渾身のらぶれたーをば高札にて披露!」
家康「暑苦しい…」

家康「皆の者ありがとう。ではわしの御手製チョコを与えよう。家康特製・薬効チョコじゃ。ちょっと冒険して高い食材も使ってみたぞ。水銀とか、ヒ素とか…」
譜代「…殿、三河武士は恩義に報いるために戦っておるのでござる!!俸禄のためにではござらぬ!ではいざ参る!」
家康「なぜみんな逃げるー」


ネットで巷がチョコチョコと騒いでいるのに一人自宅仕事でつまらないので、去年ツイッターでこんなことつぶやいてたなあと思って披露。成長ないなあ。


今日の一枚。
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チョコばっかり食べてないで野菜も食うべし!
愛知県の伝統野菜のロゴマークには大八車を押す三英傑が描かれています。かわいい。

【あいちの伝統野菜公式HP】http://www.pref.aichi.jp/engei/dentoyasai/
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by mikabushi | 2014-02-14 22:08 | 日記

役者さんってすごい

引き続き『Road2』の話をもう少しだけ。

とはいっても、脚本について書いた本人があれこれ解説するのは控えます。
時代考証的なことや元ネタになった事実についても解説は控えます。

ただ、今回初めて役者さんの演技を間近で見る機会をいただいて、幾度となく「役者さんってすごいなあ」と思う場面があったので、それは少し書かせていただこうと思います。


稽古中、もしくは本番でも、こちらが何げなく入れたセリフに思いもしなかった解釈をして、ものすごく深い意味を与えて下さったり、命を吹き込んでくださる役者さんの演技の力に何度となく感動しました。

これはそのたくさんの「感動」の中の一つですが…。


今回の舞台で榊原康政の兄・清政を演じてくださった中川さん。

実は康政と清政のシーンは、一度脚本に書いて役者さんたちにお渡ししていたものの、その後、いろんな都合によりカットしようと思っていました。

今となっては大変失礼な話なのですが、当時わたしは役者さんの役作りの大変さを全く理解していなかったのです。

「本読み稽古」と言っても、ただこちらが考えたセリフを役者さんがさらっと読むだけだろう、くらいにしか考えてなかったのです。

 だから「Aの役の代わりにBの役を」と言っても、出番が減らなければさほど不都合はないのでは…と安易に考えていたのですね。

清政の「病状」は康政と半蔵との会話の中だけで済ませて、中川さんには別の役をお願いしようと(今考えれば本当に失礼な話ですが…~_~;お恥ずかしい)思っていたのです。


でも

稽古の時に、しっかり役作りもして来られた中川さんの、あの清政の「鬼気迫る」演技を拝見しました。

そして

これはぜひ舞台で観たい、お客さんにも観せてあげたい!

と思い直したのです。

結局、すぐその場で「清政のシーンはカットせず、やはりそのままやりたい。」と集まった役者の皆さんに申し上げました。

こんな演劇素人の我儘に付き合ってくださった役者の皆さんに心からお詫びとお礼を申し上げたいです…。


中川さんだけでなく、他の客演の皆さん、武将隊の皆さんの演技に、驚いたり感動したりすることがたくさんありました。


役者さんは脚本というある意味「制約」の中で、言葉の意味の深いところまで理解して、その人物の雰囲気を作り、セリフや動作で人を惹きつけ、感動させないといけない、まさに頭が良くないとできないお仕事なんだなあと改めて感じました。


全ての皆さんにただ感謝です。


今日の一枚。榊原兄弟つながりで。
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長久手市にある「堀久太郎秀政本陣地跡」。
今は桧ヶ根公園というのどかな広場になっていて、市立図書館なんかもあります。
敵を追って深追いした榊原康政がだいたいこのあたりで堀秀政の攻撃にあって大敗したそうです。
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by mikabushi | 2014-02-13 10:21 | 武将隊

舞台『Road2』公演

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遅くなりましたが、2月8日、私が脚本を担当した葵武将隊の舞台「Road2~小牧長久手の戦い」の公演が無事終了しました。当日はあいにくの大雪でしたが、昼夜公演ともほぼ満員のお客さんでした。

脚本を書いている時は本当にしんどくて(この場合の「しんどい」というのは「自分が書いていて楽しいお話」になるまでに時間がかかった、という意味の「しんどい」です)、また演劇という共同作業にも慣れず、あれこれ悩んだり、強硬に意見を通そうとしたりしてしまいましたが、それらを受け止めていただき本当に素晴らしい舞台にしてくださったスタッフ・キャストの皆さんに感謝感謝です。


プロデューサーの古川さん、演出の殿、マネージャーのおあいさん、武将隊の皆さん、ありがとうございました。

そして客演の皆さん、零さん、鯱さん、他にも協力してくださった皆さん、ありがとうございました。

直接お会いする機会はなかったのですが、FBに舞台の感想を書いてくださった野末さん、素晴らしい音楽をありがとうございました。


史実と違うところが気になる人、武将の描き方にご不満な人もいるでしょうが、それはこちらも分かってやってることなので。
演劇という、時間もお金もキャストの練習時間も多くの制約がある中で、あれこれ計算に計算を重ねた上での、私や古川さんや殿の苦渋の判断です。
(ちなみに史実に基づいた小牧長久手の戦いを観たい方には、長久手市が発行したマンガ本「劇画・小牧長久手の戦い」がお薦めです。新行先生が監修していらっしゃるだけあって非常に正確です^^)

楽しんでくださった方に感謝です。


あと、最初脚本を書くにあたって、武将隊の水野勝成さんにご協力いただきました。
冒頭の三英傑のシーンや、忠勝と秀吉が直接対決するシーン、信雄の裏切りで家康公が秀吉の罠にはまり、部下たちが助けに来るシーンなどは勝成さんのアイデアによるもので、私は細かいセリフなどを考えただけです。
勝成さんのメジャーな感性や発想にはいつもインスピレーションをいただいています。ありがとうございました。

今日の一枚。
長久手古戦場近く、森長可戦死の地に立つ石碑。長久手に行く用事があったので、古戦場関連の史跡を回りつつお参りとご報告に行きました(^-^)
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by mikabushi | 2014-02-10 13:26 | 武将隊
葵武将隊の舞台『Road2~小牧長久手の戦い』も明日に迫りました。

そんなわけで、今日は「守綱記」の中の長久手の戦いの様子をご紹介します。

このブログで以前からご紹介している「守綱記」(渡辺守綱が晩年息子に口述筆記させた自伝)ですが、現在活字になって一般人でも読めるのは「長久手町史」資料編に掲載されている小牧長久手の戦いのくだりの部分(原文)だけです。

以前、私が自分で現代語訳したものがあるのでちょっと試しに載せてみますね。
たぶん専門家の目から見たら訳し間違いだらけだと思いますが、だいたいこんな感じだということがわかればよし、という程度なんで、まあ大目に見てやってください(そして「この程度ならオレの方がずっといい訳ができるわこのボケ!」と思われた方、ぜひ現代語訳を出してくださいお願いします!)。


【守綱記(長久手合戦のくだり)】長久手町史資料編6中世p341-p342

長久手御合戦の時、殿様(家康)は夜明けにならないうちに小牧山城より出立された。
勝川にて鎧を着られた後、三好孫七(秀次)殿の軍勢へ水野忠重、榊原康政、大須賀康高、本多広孝、丹羽氏次を先手として突きかからせたので、三好勢は戦に敗れて我々に追い討ちされたのである。

 森武蔵、池田勝入、堀久太郎らは岩崎城を攻め取り、首実検をしていた。(←他の本だと堀久太郎は岩崎城攻めにいない。また白山林の敗戦のことは直接書かれていない)

 (我々のもとへ?)彼らに追い立てられ追い打ちに討たれた「二十人頭衆」の見慣れない小旗が見えた。
 味方の先手衆はそれを敗軍と見て、「我も我も」と乗り出て、加藤喜左衛門が真っ先に敵を討ち捕えた。

 渡辺半蔵(自分のことですが半蔵と言っています)は馬にまたがり、敵を突いてやろうとし、乗りそらし逃げようとした二騎めを突いてやろうと追いかけた。
 溝をとばせ(←?意味不明)退いた三騎を突いてやろうとしたところ、水野忠重殿が旗を指していた。
「旗指し(旗持ち?)ならば馬には乗らぬであろう。」
 と申したら、離れ馬に取り乗って
「旗の紋をご覧なされ。」
 と申したので見たら忠重殿の旗だったので彼を突くのをやめた。

 その時、殿様の本隊である先手井伊万千代の軍勢が出てきたので、半蔵は前線の様子を見た後、家康公の旗のもとを目指して参ろうとした。
 そこに高木主水(清秀)、内藤四郎左衛門(正成)が殿の本陣から物見に参ったところに出会った。

 主水・四郎左衛門が
「半蔵、最前線の様子はいかに。」
 と問うたので、
「お味方の先手はことごとく敗軍したが、敵は味方を追い討ちにし、軍勢を散らしておる。今日の合戦は御先手衆は負けたが、(先を行く)森武蔵・池田勝入軍はばらばらになっているので、彼らが軍をまとめないうちに殿の本隊で敵をたたけば勝つこともできるだろう、と御報告するべく本陣に向かっていた所だ。」
 と答えた。
「殿は軍の最後尾にいらっしゃるので、先の大事の儀の間(←?)、前線に参り下知されよ。我らがいま聞いた通り殿へ申し上げるから。」
 と主水と四郎左衛門は言った。
「それならば早々に御旗本の軍勢を(前線に)およこしなされと(殿に)申し上げて下され。」
 と断り、もといた戦場に急ぎ行ったところ、今度は城織部・丹羽六太夫に会ったので、前線の様子を尋ねた。
「万千代足軽とも最前は田ブチで戦っていたが、いまは山へ追い上げられ戦っている。」
 と両人が申したので、本場へ行って見てみると、両人が言った通りであった。

 「二十人衆」の足軽5~60人を引き連れ、先ほど(万千代の軍勢が)いた田淵へ下り、横あいから(敵に)鉄砲を撃たせたが、鉄砲は山の中にいる者には当たらず、下にいた者に当たった。

 その時、森武蔵が鉄砲に当たったというので、敵が動揺した所に、御旗本の軍勢が押し出し一斉に攻めかかったので、敵は敗走しはじめた。

 その時、殿様がおられる所に敵が来て、金の団扇を持った者が胴勢を招いてしまった(←?金の団扇が敵の標的になって敵を引き寄せてしまったの意か?)。
 半蔵は殿の御前が心もとないと思い、足軽を引き連れて駆けつけ、敵に鉄砲を放った。
 (半蔵の部下の)大岡伝蔵は前進して鉄砲を撃ち、大蔵(伝蔵の身内)も隙間なく弓を放ったが、敵は居敷コタへ候(←持ちこたえた?)。
 (さらに)半蔵が
「池田勝入が軍勢は敗北したり。一人も退かすまじきぞ!」
 と言ったので、この言葉に(驚いた)武蔵・勝入の軍は崩れはじめた。

 (半蔵は)それを見渡し、一度にドッと敗走する敵に押しかかり、敵を突き伏せた。その首を半蔵の家来・山内喜右衛門が取る。
 大岡伝蔵・大岡大蔵も功名を立てた。

 また、半蔵が突き伏せた敵の首を加藤喜右衛門の足軽が取り、続けて突き伏せた敵首を榊原小兵衛の足軽が取った。
 以上、半蔵の手がけで7人を突いたが、7人目に槍の先端が突き折れたので、半蔵はその槍を中間の惣助に渡した。
 惣助はその槍で向かってくる敵を突いたところ、槍の先が折叶してしまった(←?槍が刺さったまま敵が逃げたの意か?)。
 惣助は殿様の御馬廻り・武藤孫右衛門に
「あれを御討ちください!槍を取り返して下さったならひけたるべし(←?)。」
 と申したところ、孫右衛門は追いかかり、討ち倒し、ついにその槍を取り返して惣助に渡し功名を上げた。
 さて半蔵は刀を抜き、追い留めて(←?原文:追留にて…地名か?)一人を切り倒した。
 その時追い留めにした(←?原文:追留に而)関金平という者が半蔵に断って言った。



 …私の古文読解力がかなりへっぽこなので意味不明の所が多いとは思いますが、原文自体も本当に訳しにくいです(笑)。
 この文献が今まであまり知られていなかったのはおそらく史料としての信ぴょう性が疑われていたからだと思うのですが、この文を見てもわかるように、例えば乱戦の中、森長可の戦死が伝言ゲームのように伝わってきたこととか、突き殺そうと思ったら旗指し物を見ろと言われたのでそこで味方の水野忠重だと知って思いとどまったとか(訳し間違いかもしれませんが)、現場にいないと分からないようなことも書いてあって、素人目にはけっこうリアルだと思うのですが。
(それにしてもここで守綱が忠重を突き殺していたら、守綱の処遇はもちろん、息子の勝成の出奔は当然なかっただろうし、後の福山城や勝成の施政は随分違っていたんじゃないかなーと思うと感慨深いですな(´Д` ))。


 この「守綱記」、今年発行される「愛知県史」資料編に全文が翻刻・掲載される(ただし原文のまま)ので、今後あちこちの本で史料として使われることも増えるんじゃないかと思います。

ただ、これを既に読まれた研究者の方によると「守綱はあまり政治的なこととか、戦いの意義等には興味がなくて、書いてあることの三分の一が自分の手柄話らしいので(笑)、学問的に重要な史料かどうかはよくわかりません。
ただ、生涯職業軍人だった守綱らしいなーと思います。


というわけで、Road2、楽しみにしています。


今日の一枚。
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一向一揆の再家康軍の本陣がおかれ、和睦が行われた淨珠院。
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案内板。解説というより家康公への感情移入に重きを置く所にところに地元愛を感じる。
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ついでにここには広忠の叔父松平信孝の墓もある。
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目と鼻の先には大久保一族発祥の地。今は公民館の敷地内。
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案内板。上和田城はここではなかったらしい。
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by mikabushi | 2014-02-07 13:03 | 日記