すずき孔と申します。三河武士の史跡を巡っては感想とかツッコミとか書いてます。HP「三河武士にあいたい!」http://www7b.biglobe.ne.jp/~mikawabushi/


by mikabushi

役者さんってすごい

引き続き『Road2』の話をもう少しだけ。

とはいっても、脚本について書いた本人があれこれ解説するのは控えます。
時代考証的なことや元ネタになった事実についても解説は控えます。

ただ、今回初めて役者さんの演技を間近で見る機会をいただいて、幾度となく「役者さんってすごいなあ」と思う場面があったので、それは少し書かせていただこうと思います。


稽古中、もしくは本番でも、こちらが何げなく入れたセリフに思いもしなかった解釈をして、ものすごく深い意味を与えて下さったり、命を吹き込んでくださる役者さんの演技の力に何度となく感動しました。

これはそのたくさんの「感動」の中の一つですが…。


今回の舞台で榊原康政の兄・清政を演じてくださった中川さん。

実は康政と清政のシーンは、一度脚本に書いて役者さんたちにお渡ししていたものの、その後、いろんな都合によりカットしようと思っていました。

今となっては大変失礼な話なのですが、当時わたしは役者さんの役作りの大変さを全く理解していなかったのです。

「本読み稽古」と言っても、ただこちらが考えたセリフを役者さんがさらっと読むだけだろう、くらいにしか考えてなかったのです。

 だから「Aの役の代わりにBの役を」と言っても、出番が減らなければさほど不都合はないのでは…と安易に考えていたのですね。

清政の「病状」は康政と半蔵との会話の中だけで済ませて、中川さんには別の役をお願いしようと(今考えれば本当に失礼な話ですが…~_~;お恥ずかしい)思っていたのです。


でも

稽古の時に、しっかり役作りもして来られた中川さんの、あの清政の「鬼気迫る」演技を拝見しました。

そして

これはぜひ舞台で観たい、お客さんにも観せてあげたい!

と思い直したのです。

結局、すぐその場で「清政のシーンはカットせず、やはりそのままやりたい。」と集まった役者の皆さんに申し上げました。

こんな演劇素人の我儘に付き合ってくださった役者の皆さんに心からお詫びとお礼を申し上げたいです…。


中川さんだけでなく、他の客演の皆さん、武将隊の皆さんの演技に、驚いたり感動したりすることがたくさんありました。


役者さんは脚本というある意味「制約」の中で、言葉の意味の深いところまで理解して、その人物の雰囲気を作り、セリフや動作で人を惹きつけ、感動させないといけない、まさに頭が良くないとできないお仕事なんだなあと改めて感じました。


全ての皆さんにただ感謝です。


今日の一枚。榊原兄弟つながりで。
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長久手市にある「堀久太郎秀政本陣地跡」。
今は桧ヶ根公園というのどかな広場になっていて、市立図書館なんかもあります。
敵を追って深追いした榊原康政がだいたいこのあたりで堀秀政の攻撃にあって大敗したそうです。
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# by mikabushi | 2014-02-13 10:21 | 武将隊

舞台『Road2』公演

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遅くなりましたが、2月8日、私が脚本を担当した葵武将隊の舞台「Road2~小牧長久手の戦い」の公演が無事終了しました。当日はあいにくの大雪でしたが、昼夜公演ともほぼ満員のお客さんでした。

脚本を書いている時は本当にしんどくて(この場合の「しんどい」というのは「自分が書いていて楽しいお話」になるまでに時間がかかった、という意味の「しんどい」です)、また演劇という共同作業にも慣れず、あれこれ悩んだり、強硬に意見を通そうとしたりしてしまいましたが、それらを受け止めていただき本当に素晴らしい舞台にしてくださったスタッフ・キャストの皆さんに感謝感謝です。


プロデューサーの古川さん、演出の殿、マネージャーのおあいさん、武将隊の皆さん、ありがとうございました。

そして客演の皆さん、零さん、鯱さん、他にも協力してくださった皆さん、ありがとうございました。

直接お会いする機会はなかったのですが、FBに舞台の感想を書いてくださった野末さん、素晴らしい音楽をありがとうございました。


史実と違うところが気になる人、武将の描き方にご不満な人もいるでしょうが、それはこちらも分かってやってることなので。
演劇という、時間もお金もキャストの練習時間も多くの制約がある中で、あれこれ計算に計算を重ねた上での、私や古川さんや殿の苦渋の判断です。
(ちなみに史実に基づいた小牧長久手の戦いを観たい方には、長久手市が発行したマンガ本「劇画・小牧長久手の戦い」がお薦めです。新行先生が監修していらっしゃるだけあって非常に正確です^^)

楽しんでくださった方に感謝です。


あと、最初脚本を書くにあたって、武将隊の水野勝成さんにご協力いただきました。
冒頭の三英傑のシーンや、忠勝と秀吉が直接対決するシーン、信雄の裏切りで家康公が秀吉の罠にはまり、部下たちが助けに来るシーンなどは勝成さんのアイデアによるもので、私は細かいセリフなどを考えただけです。
勝成さんのメジャーな感性や発想にはいつもインスピレーションをいただいています。ありがとうございました。

今日の一枚。
長久手古戦場近く、森長可戦死の地に立つ石碑。長久手に行く用事があったので、古戦場関連の史跡を回りつつお参りとご報告に行きました(^-^)
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# by mikabushi | 2014-02-10 13:26 | 武将隊
葵武将隊の舞台『Road2~小牧長久手の戦い』も明日に迫りました。

そんなわけで、今日は「守綱記」の中の長久手の戦いの様子をご紹介します。

このブログで以前からご紹介している「守綱記」(渡辺守綱が晩年息子に口述筆記させた自伝)ですが、現在活字になって一般人でも読めるのは「長久手町史」資料編に掲載されている小牧長久手の戦いのくだりの部分(原文)だけです。

以前、私が自分で現代語訳したものがあるのでちょっと試しに載せてみますね。
たぶん専門家の目から見たら訳し間違いだらけだと思いますが、だいたいこんな感じだということがわかればよし、という程度なんで、まあ大目に見てやってください(そして「この程度ならオレの方がずっといい訳ができるわこのボケ!」と思われた方、ぜひ現代語訳を出してくださいお願いします!)。


【守綱記(長久手合戦のくだり)】長久手町史資料編6中世p341-p342

長久手御合戦の時、殿様(家康)は夜明けにならないうちに小牧山城より出立された。
勝川にて鎧を着られた後、三好孫七(秀次)殿の軍勢へ水野忠重、榊原康政、大須賀康高、本多広孝、丹羽氏次を先手として突きかからせたので、三好勢は戦に敗れて我々に追い討ちされたのである。

 森武蔵、池田勝入、堀久太郎らは岩崎城を攻め取り、首実検をしていた。(←他の本だと堀久太郎は岩崎城攻めにいない。また白山林の敗戦のことは直接書かれていない)

 (我々のもとへ?)彼らに追い立てられ追い打ちに討たれた「二十人頭衆」の見慣れない小旗が見えた。
 味方の先手衆はそれを敗軍と見て、「我も我も」と乗り出て、加藤喜左衛門が真っ先に敵を討ち捕えた。

 渡辺半蔵(自分のことですが半蔵と言っています)は馬にまたがり、敵を突いてやろうとし、乗りそらし逃げようとした二騎めを突いてやろうと追いかけた。
 溝をとばせ(←?意味不明)退いた三騎を突いてやろうとしたところ、水野忠重殿が旗を指していた。
「旗指し(旗持ち?)ならば馬には乗らぬであろう。」
 と申したら、離れ馬に取り乗って
「旗の紋をご覧なされ。」
 と申したので見たら忠重殿の旗だったので彼を突くのをやめた。

 その時、殿様の本隊である先手井伊万千代の軍勢が出てきたので、半蔵は前線の様子を見た後、家康公の旗のもとを目指して参ろうとした。
 そこに高木主水(清秀)、内藤四郎左衛門(正成)が殿の本陣から物見に参ったところに出会った。

 主水・四郎左衛門が
「半蔵、最前線の様子はいかに。」
 と問うたので、
「お味方の先手はことごとく敗軍したが、敵は味方を追い討ちにし、軍勢を散らしておる。今日の合戦は御先手衆は負けたが、(先を行く)森武蔵・池田勝入軍はばらばらになっているので、彼らが軍をまとめないうちに殿の本隊で敵をたたけば勝つこともできるだろう、と御報告するべく本陣に向かっていた所だ。」
 と答えた。
「殿は軍の最後尾にいらっしゃるので、先の大事の儀の間(←?)、前線に参り下知されよ。我らがいま聞いた通り殿へ申し上げるから。」
 と主水と四郎左衛門は言った。
「それならば早々に御旗本の軍勢を(前線に)およこしなされと(殿に)申し上げて下され。」
 と断り、もといた戦場に急ぎ行ったところ、今度は城織部・丹羽六太夫に会ったので、前線の様子を尋ねた。
「万千代足軽とも最前は田ブチで戦っていたが、いまは山へ追い上げられ戦っている。」
 と両人が申したので、本場へ行って見てみると、両人が言った通りであった。

 「二十人衆」の足軽5~60人を引き連れ、先ほど(万千代の軍勢が)いた田淵へ下り、横あいから(敵に)鉄砲を撃たせたが、鉄砲は山の中にいる者には当たらず、下にいた者に当たった。

 その時、森武蔵が鉄砲に当たったというので、敵が動揺した所に、御旗本の軍勢が押し出し一斉に攻めかかったので、敵は敗走しはじめた。

 その時、殿様がおられる所に敵が来て、金の団扇を持った者が胴勢を招いてしまった(←?金の団扇が敵の標的になって敵を引き寄せてしまったの意か?)。
 半蔵は殿の御前が心もとないと思い、足軽を引き連れて駆けつけ、敵に鉄砲を放った。
 (半蔵の部下の)大岡伝蔵は前進して鉄砲を撃ち、大蔵(伝蔵の身内)も隙間なく弓を放ったが、敵は居敷コタへ候(←持ちこたえた?)。
 (さらに)半蔵が
「池田勝入が軍勢は敗北したり。一人も退かすまじきぞ!」
 と言ったので、この言葉に(驚いた)武蔵・勝入の軍は崩れはじめた。

 (半蔵は)それを見渡し、一度にドッと敗走する敵に押しかかり、敵を突き伏せた。その首を半蔵の家来・山内喜右衛門が取る。
 大岡伝蔵・大岡大蔵も功名を立てた。

 また、半蔵が突き伏せた敵の首を加藤喜右衛門の足軽が取り、続けて突き伏せた敵首を榊原小兵衛の足軽が取った。
 以上、半蔵の手がけで7人を突いたが、7人目に槍の先端が突き折れたので、半蔵はその槍を中間の惣助に渡した。
 惣助はその槍で向かってくる敵を突いたところ、槍の先が折叶してしまった(←?槍が刺さったまま敵が逃げたの意か?)。
 惣助は殿様の御馬廻り・武藤孫右衛門に
「あれを御討ちください!槍を取り返して下さったならひけたるべし(←?)。」
 と申したところ、孫右衛門は追いかかり、討ち倒し、ついにその槍を取り返して惣助に渡し功名を上げた。
 さて半蔵は刀を抜き、追い留めて(←?原文:追留にて…地名か?)一人を切り倒した。
 その時追い留めにした(←?原文:追留に而)関金平という者が半蔵に断って言った。



 …私の古文読解力がかなりへっぽこなので意味不明の所が多いとは思いますが、原文自体も本当に訳しにくいです(笑)。
 この文献が今まであまり知られていなかったのはおそらく史料としての信ぴょう性が疑われていたからだと思うのですが、この文を見てもわかるように、例えば乱戦の中、森長可の戦死が伝言ゲームのように伝わってきたこととか、突き殺そうと思ったら旗指し物を見ろと言われたのでそこで味方の水野忠重だと知って思いとどまったとか(訳し間違いかもしれませんが)、現場にいないと分からないようなことも書いてあって、素人目にはけっこうリアルだと思うのですが。
(それにしてもここで守綱が忠重を突き殺していたら、守綱の処遇はもちろん、息子の勝成の出奔は当然なかっただろうし、後の福山城や勝成の施政は随分違っていたんじゃないかなーと思うと感慨深いですな(´Д` ))。


 この「守綱記」、今年発行される「愛知県史」資料編に全文が翻刻・掲載される(ただし原文のまま)ので、今後あちこちの本で史料として使われることも増えるんじゃないかと思います。

ただ、これを既に読まれた研究者の方によると「守綱はあまり政治的なこととか、戦いの意義等には興味がなくて、書いてあることの三分の一が自分の手柄話らしいので(笑)、学問的に重要な史料かどうかはよくわかりません。
ただ、生涯職業軍人だった守綱らしいなーと思います。


というわけで、Road2、楽しみにしています。


今日の一枚。
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一向一揆の再家康軍の本陣がおかれ、和睦が行われた淨珠院。
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案内板。解説というより家康公への感情移入に重きを置く所にところに地元愛を感じる。
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ついでにここには広忠の叔父松平信孝の墓もある。
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目と鼻の先には大久保一族発祥の地。今は公民館の敷地内。
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案内板。上和田城はここではなかったらしい。
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# by mikabushi | 2014-02-07 13:03 | 日記

小松姫紀行~信州上田編

前回の投稿の小松姫つながりで、以前行った信州上田の写真を。

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上田城。中は博物館になっていて、小松姫使用とされる赤い籠などが展示。
第一次上田合戦の様子が軽快なゲーム音楽に合わせて語られるビデオとかもあった(*^^*)
敗走する徳川軍を語るナレーションとともに音楽がチャッチャラー♫と鳴ってて、思わず大爆笑しておりました(笑)
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このころ出来たてだった真田おもてなし武将隊。まだ演武も(全員揃わないと)できず、観光客と写真を撮るだけの人々でした。
数年後の天下一決定戦ではミュージカル仕立ての立派な演武をされてましたね(^o^)
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真田神社。六文銭グッズが充実してました。巨大な赤い兜がインパクト。
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お城近くにある芳泉寺の小松姫のお墓。ほかにも沼田や松代にもお墓があるそうです。
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墓所に入るにはこの小さなくぐり戸を通って行きます。わかりづらいので行く人は注意。
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このお寺の敷地内にはいろいろ謎の石像があって何かのテーマパークのようです。
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何故こんなものが。
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小松姫は家康公の養女として嫁いでいるので、お寺の門にも葵の御紋が燦然と輝いております。上田という地で見ると感慨深い。
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上田は真田愛に溢れているところです。駅前にもマンホールにも所々に六文銭が。
ほかにもいろんなところで真田にまつわるものを見かけました。官主導でなくて、本当に市民の方が真田を愛してるんだなあというのが分かります。
上田の街自体はとてものんびりして良いところでした。
有名なもみじやさんでお蕎麦を食べられなかったのが心残りです(´Д` )←やはり最後は食い物の話題か
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# by mikabushi | 2014-02-06 12:07


↑群馬県利根沼田地区で、非公式でありながら、小松姫を中心に萌おこしをしていこうという有志団体「小松姫プロジェクト」さんの動画です。

【公式サイト】小松姫プロジェクト http://www13.plala.or.jp/komatsuhime/

小松姫もさることながら、夫の真田信幸(信之)さんも負けず劣らずかわいらしい(つω`*)
この動画の最後の方に出てくる、姫の尻に敷かれている(でもまんざらでもなさそうな)信幸(信之)さんがけっこうツボです。


小松姫の逸話というと、例の、舅と義弟を沼田城に入れなかった話が有名ですが、実は彼女の父本多忠勝も似たような経験をしたという逸話があります。しかも忠勝の方が締め出し食らっております(!)

【「名将言行録」内藤正成編より】

ある日、二俣城を攻めるため、内藤正成を城の留守番に残して浜松城を出た家康公。
しかし、夜戦をしたものの激しい豪雨にあい、急きょ浜松城に引き返すことになりました。

殿と一緒に出陣していた本多忠勝は部下を先に城へ遣わし、本隊が城に帰還すると告げさせたのですが、
忠勝の部下が城門の前で開門を要求しても、城の留守居役の正成はいっこうに開けてくれません。

ついには忠勝自らやってきて、真っ暗な中、城門を手でどんどんと叩いて

忠勝「おーい、わしじゃー、平八じゃー。開けてくれー。」
と叫んでも閉じたままの城門…。

櫓に出てきた正成、
正成「何者ぞ。」
忠勝「何者ぞって…声を聞けばわかるだろうが!わし!」
正成「ああ?声?そんなもの信用できるか。」
忠勝「そんなもんって…」
正成「とっととそこを退け。(部下に向かって)こいつが退かずば撃ち殺せ!」
すでに鳥銃に火縄を挟ませて迎撃用意している正成の兵。
忠勝「うわああこいつマジだやばい」

忠勝はやむなく本隊の旗本に事の次第を連絡すると、何と家康公はただ一騎で門前にやってきて
家康「四郎左衛門(正成の通り名)はおるか、わしじゃ。今帰って来た。」
とわざわざ声をかけたのです。

まあふつうならここで疑いを解き、開門するものですが
正成はさすがに殿の声音は聞きとったものの、鉄砲狭間からちょうちんをつるして外に出し(!)、殿の顔を確かに見定めると、櫓の上から急いで下りてきて自ら門を開けて出迎えたといいます。

忠勝「(オレのときにはちょうちんも出さなかった…ぶつぶつ)」

家康公は
「正成に城を守らせれば敵に謀将がいても決して侵入は許さないであろう(^▽^;) 」
といって再三ほめたといいます(ほめにゃしゃーない…)。


…というエピソードを忠勝が娘に話して、それを小松姫が記憶にとどめていたのかもしれないなーと思うとちょっとほほえましいですね。
忠勝「まったくあの時の四郎左衛門のじーさんには参ったわい。」
小松「内藤様…かっこいい!」
忠勝「えっ」

とかなんとか。

ちなみに内藤家は弓矢鉄砲がお家芸のような家ですが、正成はその中でも「軍神四郎左衛門」といわれる弓矢の名手でした。
戦ではとにかくクールで、一向一揆の時、一揆側になった舅(石川氏)を「戦に私情は挟まぬ」といって容赦なく射殺しております。
この様子を見ていた石川数正が、隣の殿に
「殿、あれこそが真の三河武士ですよ。」
と言ったというエピソードがあります(石川一族が殺されてるのを見てクールに言い放つ数正も数正だが)。


今日の一枚。
沼田には行ったことがないのですが、以前小松姫の取材に行った信州上田での一枚。
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駅前に真田の六文銭!ほかにもあちこちで家紋を見かけたり、お店でも真田にまつわるメニューがあったり…。好きな武将が地元でこれだけ大事にされていたらファンは嬉しいと思うなあ…。
素直に上田の真田愛は本当に羨ましいと感じました!
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# by mikabushi | 2014-02-05 23:53 | 日記