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【伊賀越え2】

「伊賀者由緒書」
実はさっき史料を漁っていたら、参考文献の中にこれの原文を引用した箇所があったので訳しながら載せてみますね。ははは知らなかったなー。


(タイトル)「(家康公が)伊賀者二百人へ御褒美をなされ、(伊賀者が)地方を拝領した覚え書き」

…天正10年5月29日、権現様和泉州堺ご遊覧として…(中略)…
お供のうち服部半蔵は伊勢の出身だったので、本多忠勝の依頼を受けて、伊賀路の郷導を引き受けた。

半蔵は家康一行より先に進んだ、
(正成の呼びかけによって)服部に従っている一族(←?原文だと「其従類」)である柘植三之丞、同市助、同甚八郎、山口甚助、富田弥兵衛、菊池豊前、柴田周防、福守定斎入道、山中覚兵衛、米地半助ら10余人、
またその他郷士どもがおいおい2~300人、(家康公のために)はせ参じた。

上柘植より三里半の間を「鹿伏兎(かぶと)」といい、ここは山深く険阻で昔から山賊の住処だったところをつつがなくご案内申し上げた。

家康公一行は鹿伏兎の役にお泊りになり、6日に伊勢白子の浜に無事にお着きになった。
この時供奉した大和、和泉、近江、伊勢の士(忍びなどの郷士)は解散することになったが、
家康からそのうち浜松に来れば褒美を与えるという旨を約束され、みんな感謝して帰郷した。

家康公はこれより舟で大浜にお着きになり、17日には熱田に出陣なさった。


…このとき召し抱えられた伊賀者(服部正成の部下になった)150人はこの年から大坂の陣まですべての戦に出陣たといいわれている。


by mikabushi | 2011-11-13 00:41 | 一日一服部